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2040年の経済社会シリーズ:国際秩序の地経学的転換と経済安全保障

 現代世界は、第二期トランプ政権の関税政策や、それへの対抗措置として中国がレアアースの輸出規制を強化するなど、第二次大戦後から続いてきた国際政治経済秩序が大きく変化している。これは経済を政治的な手段として国家間関係を動かしていく「地経学的転換」と呼べる現象である。本稿では、こうした変化がなぜ起きたのか、そしてどのようなパワー構造の元に国際関係は制御されているのかを分析し、その中で経済安全保障がどのような役割を果たすものなのかを説明していきたい。

相互依存の罠

 第二次大戦後に成立したブレトンウッズ体制と呼ばれる、自由貿易を推進する国際経済秩序は、第二次大戦のきっかけとなった保護主義やブロック経済を否定し、関税の引き下げとグローバルスタンダードの導入による非関税障壁の低減を柱とすることで、武力を用いることなく他国の市場や資源にアクセス出来ることを可能にした。つまり、自由貿易は戦争をする必要性を減らし、国際的な相互依存が深まることで、戦争のコストを高めるという効果が期待された。また、経済活動を自由にすることで、経済合理性に最適化された経済システムを作ることで、世界経済全体の成長を目指すものでもあった。

 こうした自由貿易体制は、日本や欧州の戦後経済復興から経済成長の土台となり、さらに、独裁的な政治体制を持っていた韓国や台湾なども、経済成長の結果として中産階級が政治的な発言を求め、次々と民主化していった。さらに、ソ連の崩壊による冷戦の終焉は、旧共産圏諸国を自由貿易の枠組みに引き入れ、天安門事件後の中国も改革開放を推し進めることで、自由貿易体制の中に組み込まれていった。この流れを受け、西側諸国も積極的に旧共産圏や中国への投資を増やし、貿易を増大させることで、それらの国々の民主化を支援した。

 こうして、自由貿易が拡大し、相互依存が深まることは、比較優位の原則が働き、国際分業が徹底することになる。既に経済成長を遂げた先進国から、生産コストの安い途上国への資本の移転や製造拠点の移転が起こり、それに伴い、途上国では多くの雇用が生まれ、経済成長を経験する一方、先進国で競争力を失った産業は市場からの退場を余儀なくされる。こうして確立した相互依存関係は、自国の産業構造を、競争力のある産業に特化し、競争力のないセクターにおいては他国に強度に依存することになる。

 しかし、2008年にリーマンショックが起こると、こうしたグローバル化に最適化した国々は経済的な危機から脱することが難しくなる一方、権威主義的な政治体制をとる国家は、国家資源の迅速な動員により、経済危機からの脱却をいち早く可能にした。ここに、自由貿易を通じて民主化するという期待は失われたが、それでも自由貿易に基づく相互依存は一層深化することになった。というのも、体制が異なっていたとしても、WTOのルールに基づく通商秩序は維持され、既に深い相互依存関係にある各国は、その状態を継続することが経済的に合理的だったからである。つまり、体制が異なっていても、相互依存関係を断ち切ることが出来ないどころか、ドイツにおける「貿易を通じた変化(Wandel durch Handel)」、日中関係に見られる「政冷経熱」に見られるように、自由貿易がこれからも継続されることへの期待はあった。

 しかし、こうした相互依存と国際分業の進展は、罠のように、そこから逃げられない状況を作りだした。そして、その罠にかかった獲物を狙うがごとく、経済を手段として他国に影響力を行使して、政治的な目的を達成するという行為が見られるようになってきた。これは、第一次トランプ政権において、WTOの上級委員の任命を拒否したことで、WTOのルールに反した行為を起こしても、それを罰することが出来ないという状況を生むことになった。ゆえに、自由貿易を通じて国際分業が徹底し、特定の産業を独占的に持つようになった国が、その産業に規制をかけたり、輸出制限を行うことで、他国の経済に多大な影響を与え、他国の政策を変更させるという経済的威圧ないしエコノミック・ステイトクラフトを実施することが可能になった。その代表例が2010年の尖閣諸島を巡る問題で、中国が日本に対してレアアースの輸出を規制したことが挙げられるが、その他にも、パンデミックの際に中国市場に依存しているオーストラリアに対して、中国が輸入停止措置を実施したり、アメリカという巨大な市場に多くの国が依存している状況を踏まえ、関税をかけて他国に圧力をかける第二次トランプ政権の政策や、その対抗措置としての中国のレアアースの輸出などが挙げられる。

 このように、現代世界においては、相互依存の罠にかかった相手に対して、経済を「武器化」して攻撃を行い、相手を降伏させることを目指す行為が出てくるようになったのである。これまでの自由貿易によって国家間関係が定められてきた「地経学」の枠組みが、ここで大きく変化し、政治と経済が融合し、経済が国家間関係を規定する「地経学的転換」が起きたのである。

経済安全保障とは何か

 経済安全保障とは、相互依存の罠にかかった中で、他国が経済を武器化して攻撃してくることを避けるため、相互依存の罠を少しでも緩め、相手から攻撃されにくくする事である。そのため、他国による経済的威圧やエコノミック・ステイトクラフトに対抗しうる能力を構築することが重要な論点となる。

 その経済安全保障が目指すのが「戦略的自律性」と「戦略的不可欠性」である。戦略的自律性とは、相互依存の中でも特定の重要な物資に関しては、特定の国家に過度に依存しないようにするための措置を指す。日本の経済安全保障推進法では、特定重要物資として12品目挙げられているが、他国による輸出規制などの「武器化」によって供給が止まったとしても耐えられるような、強靱性を高めるために、政府が企業活動を支援するというものである。具体的には、備蓄を増やすことや、代替供給元を見つけるための調査、さらには代替する素材などを使って製品を作るための研究開発などが挙げられる。また、戦略的自律性は一国で全て賄うことは合理的ではないため、信頼出来る供給元を見つけ、関係を強化していくということも含まれる。

 この際、重要になってくるのは、自律性を高めるための措置は、自由貿易の世界の中では非合理的な選択になり得るということである。通常であれば、より低いコストで調達できるものを、わざわざ高いコストをかけて別のところから調達するのだから、経済的には非合理的である。しかし、経済の「武器化」によって供給が途絶えれば、その被害を受けるのは企業である。そのため、企業はそうしたリスクを避けるためのヘッジとして他の供給元を探す必要があると言うことである。

 もう一つの戦略的不可欠性とは、サプライチェーンの中で、自国が不可欠な存在になると言うことである。それは、特定の品目において圧倒的なグローバルシェアを持ち、それなしでは、他の国で生産が出来なくなると言ったものである。中国がレアアースの輸出規制をすることで、多くの国の自動車産業などが苦しむのは、中国のレアアースが全ての国にとって不可欠なものになっており、中国は圧倒的なグローバルシェアを持っているからである。こうした不可欠性を獲得することで、それを武器として他国に対する攻撃の材料にすることも、また、それを武器として使えることを示すことで、相手の攻撃を抑止することも出来る。これこそが、地経学的パワーということになる。

 また、不可欠性には、単なる「モノの不可欠性」だけでなく、「市場の不可欠性」もある。アメリカや中国のように巨大な市場は、周辺諸国にとっては不可欠な存在となる。その巨大市場と取引しなければ自国経済が立ちゆかない状態になると、例えば関税政策や輸入禁止によって、大きな損害を被ることになる。こうした市場の不可欠性を活用しているのが、まさにトランプ政権の関税政策であり、アメリカに依存している国々に対して、関税をかけることで、他国に何らかの政治的な圧力をかけることが出来る。例えば、ロシアから原油を調達していたインドに対して「二次関税」をかけることによって、その行為を止めさせることや、ブラジルに対して、ボルソナロ前大統領の裁判の中止を求めることも行っている。また、カナダやメキシコに対する移民の制限や不法薬物などの取り締まりを強化することも求めている。これらが必ずしも全て成功しているわけではないが、市場の不可欠性があることで、各国はアメリカの求めに応じなければいけない状況となっている。

 相互依存の罠にはまった状態で、他国の攻撃から身を守り、そして攻めるための力をつけることが、経済安全保障の目的ということになるだろう。

地経学時代における日本

 では、地経学的転換が起きた世界の中で、日本はどのような戦略をとるべきなのであろうか。まず、日本は地下資源が豊富にあるわけではなく、中東の産油国や中国のレアアースのような、資源をテコにした「モノの不可欠性」を持つわけではない。しかしながら、日本には高い技術力を持った企業と、高い品質の製品を作る「匠の技」がある。これらは他の国には容易に真似出来ないものであり、グローバルなサプライチェーンにおいて不可欠なものになるであろう。

 しかし、人口が減少し、内需が縮小していく日本は、このまま日本国内で人材を育成し、資本を集め、技術を育てるということには限界がある。実際、相互依存の罠にはまった世界においては、人や資本は自由に移動し、特定の地域に産業が集中するようになる。例えばシリコンバレーでは、アメリカ生まれのアメリカ育ちといったアメリカ人よりは、世界中から技術と野心を持った人たちが集まり、彼らが主導するイノベーションに世界中から資本が集まるようになっている。このように、地経学時代においては、「誰が」イノベーションの担い手になるか、というよりも、「どこで」そのイノベーションが起こっているのか、ということが重要になる。そういう意味では、日本が不可欠性を得るためには、技術と人材と資本が集まるような社会インフラの整備や、法制度の設計が必要となってくるであろう。

 また、日本は、世界で45番目の規模の経済であるが、「市場の不可欠性」を得られるほどの規模にはなっていない。しかしながら、第一次トランプ政権が発足した際に、アメリカがTPPから離脱した後、日本が主導的な立場をとって交渉を仕切り直し、CPTPPを作り出した。このCPTPPはアジアの成長センターを取り込み、グローバルなサプライチェーンの流れを容易にすることで、域内の経済をより緊密に結びつけている。こうしたCPTPPの成功は、多くの国の関心を引きつけ、環太平洋地域とは言い難い、イギリスまでもが参加することになった。さらに、中国と台湾は正式に加盟を申請しており、韓国も加盟申請の検討を始めている。このように、日本一国では「市場の不可欠性」を得ることは出来なくても、CPTPPのような枠組みを作ることで、その不可欠性を高めていくことが出来る。

 この点で重要になるのは、単に自由貿易協定を作るだけでなく、その「ペンホルダー」になることである。「ペンホルダー」とは、CPTPPのような枠組みや組織を作る際に、最初に主導的な立場をとり、自らに有利なルールを作ることである。自らがルール策定に関与することで、交渉上の妥協はありながらも、自らが納得するルールを作ることが出来る。もし、既存の枠組みに後から参加する事になれば、既に存在するルールを受け入れるか、拒否する(加盟しない)という選択肢しかない。つまり、後からルールに参加する事は不利であり、それでも加盟するのであれば、相当な犠牲を払わなければならなくなるのである。さらに重要なことは、最初にルールを作る原加盟国の立場にいる場合、後から入ってくる申請国に対して、拒否権を持つことになる。通常、こうした枠組みの新規加盟手続きは全会一致で承認されるため、既加盟国は拒否権を持つことになる。その立場を活用し、新規加盟国(例えば中国)に対して、ルールに合致するような改革を求め、ルールに従うことを強要することが出来る。これはまさに、「市場の不可欠性」を活用した、地経学的パワーの行使である。

 こうした地経学時代における国家戦略は、いかにして「モノの不可欠性」と「市場の不可欠性」を生み出し、それを自らのパワーとすることが出来るか、ということが問われている。日本はこうしたパワーを持つ国家として国際社会で振る舞うことに慣れていないが、トランプ関税や中国の輸出規制に見られるように、他国はそうしたパワーを剥き出しにして地経学的転換が進む世界において生き延びようとしている。日本は、米中と同様に振る舞うことは出来ないが、自らのやり方で、地経学的パワーを身につけ、力によって形成される国際社会の中で生き延びていかなければならないのである。

鈴木 一人 地経学研究所 所長/東京大学 教授


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