2040年の経済社会シリーズ:医療財政改革の次のトリガーは何か -医療費「成長率調整メカニズム」の導入に向けて-
契機となった「こども未来戦略」
人口減少や少子高齢化が進むなかで財政赤字が恒常化し、ここ数十年の間、日本の財政は厳しい状況が続いてきた。この主な原因の一つが、医療・介護等の社会保障費の膨張だが、予算編成プロセスにおいて、医療・介護の財政統制に新たなルールが導入されつつある。それは、2023年12月に閣議決定した「こども未来戦略」の脚注27(以下「脚注27」という)に関係するものである。この脚注27では、「高齢化等に伴い、医療・介護の給付の伸びが保険料の賦課ベースとなる雇用者報酬の伸びを上回っており、このギャップにより、保険料率は上昇している。若者・子育て世帯の手取り所得を増やすためにも、歳出改革と賃上げによりこのギャップを縮小し、保険料率の上昇を最大限抑制する」と記載されている。
まず、脚注27が記載された主な背景であるが、この契機となったのは岸田前首相が政権の目玉の一つに位置付けた「異次元の少子化対策」だ。その中身は2023年6月に政府が公表した「こども未来戦略方針」で概ね判明したものの、この財源(約3.6兆円)の具体的措置は同年12月に先送りとなった。消費税を含む増税で財源を賄うことは政治的に既に難しい状況であり、財源措置で一つの有力候補となったのが、医療などの社会保険料率の上乗せで一定の財源(例:約1兆円)を捻出する制度の創設(以下「支援金制度」という)である。
だが、これに対しても、保険料は基本的に労使折半で現役世代や企業の負担が増すため、支援金制度の創設に対して当初から、日本経済団体連合会や日本労働組合総連合会などが既に懸念を示していた。
実際、「こども未来戦略会議」の議事録(2023年4月7日開催)でも、少子化対策の財源につき、日本経済団体連合会の十倉雅和会長(当時)は「今ここで財源として社会保険料の負担を増やすことは、現役世代の可処分所得の減少に直結し、せっかくの賃金引上げの効果に水を差し、好循環の実現に待ったをかけるもので、賛成できません。むしろ、全世代が応能負担で支えるという観点も含め、中長期の視点から様々な税財源を組み合わせることが望ましいと考えます」と発言している。
十倉会長の発言は、企業の競争力を削ぎ、子育てを担う現役世代の負担が増す可能性があることを懸念してのものだが、これまでの社会保険料率の上昇を考えると、この懸念はもっともだ。というのも、例えば、家計調査の「二人以上の勤労者世帯」(全国平均値)において、1988年と2017年を比較すると、所得税等の直接税の負担は微減の一方、社会保険料率の負担が約84%も増加していることが確認できる。
5割も上昇する社会保険料率(医療・介護)
では、今後、社会保険料率はどこまで上昇していく可能性があるのか。この推計には精緻な分析が必要だが、一つの参考となるのは、内閣府が経済財政諮問会議(2024年4月2日開催)で示した財政・社会保障の長期試算ではないか。
この長期試算は、「中⻑期的に持続可能な経済社会の検討に向けて②」という文書(以下「長期試算」という)で示されたもので、中長期試算以降(2034年度から2060年度まで)のマクロ経済・財政・社会保障の姿を推計したものである。
この試算では、「現状投影シナリオ」「長期安定シナリオ」「成長実現シナリオ」という3つのシナリオに基づき、財政・社会保障の姿を試算しているが、このうち、ベンチマークとなるのは、「現状投影シナリオ」で、かつ、医療の高度化等がこれまでの実績を考慮した1%のシナリオであろう。
このシナリオでは、2019年度に8.2%であった医療・介護給付費(対GDP)は、2033年度に9.2%、2040年度に10.2%、2050年度に11.7%、2060年度に13.3%に上昇する試算結果になっている。また、内閣府の長期試算は、医療・介護の社会保険料負担や公費負担の推計も示している。例えば、2019年度に4.8%であった医療・介護の社会保険料負担(対GDP)は、2033年度に5.2%、2040年度に5.7%、2050年度に6.4%、2060年度に7.2%に上昇するものとなっており、2060年度の医療・介護の社会保険料負担(対GDP)が2019年度の1.5倍となる試算結果となっている。この事実は、医療介護制度改革を行わない限り、2019年度との比較で、2060年度までに、医療の社会保険料率などを約5割も引き上げなければいけない可能性を示唆する。
2004年年金改革の経験を活かせ
この問題につき何らかの解決が必要だが、公的年金の保険料率に関する問題で、我々は類似の課題を20年ほど前にも経験している。公的年金は高齢者の生活を支える重要な役割を担う制度だが、少子高齢化が進行するなか、年金保険料率は何度も引き上げられてきた。例えば、1965年で5.5%であった厚生年金の保険料率は、段階的に引き上げられ、2003年では約2.5倍の13.58%に上昇していた。この理由は、現在の公的年金制度は「賦課方式」で、高齢者に支払う年金給付の財源を、その時の現役世代が支払う保険料収入で賄うことにしていたためだ。
だが、現役世代の負担にも限界がある。このため、小さな政府を目指した小泉政権期では、少子高齢化が進むなか、現役世代の負担増を抑制するため、2004年に年金改革を行い、厚生年金の保険料率の上限を18.3%に定めた。
『厚生労働白書』(平成17年版)の第2章によると、「2004年の改正前においては、仮に、保険料の引上げだけで改正前の制度を続けていたとすれば、厚生年金保険料率は13.58%から25.9%へ」引き上げなければならない状況であった。このような状況のなか、当時の政府は、厚生年金保険料率の上限を20%にすることを検討したが、日本経済団体連合会などから反対の声が上がった。
実際、日本経済団体連合会の「今次年金制度改革についての意見」(2003年9月10日)では、「保険料の引上げは、企業の活力を奪い、経済活性化を阻害し、さらには企業の雇用維持努力に悪影響を生じさせるため、安易に行うべきではない。将来の保険料率を20%に法定することが検討されているが、給付抑制、基礎年金の間接税方式化という制度改革が不十分な中で、保険料率の上限を20%とすることは、現段階において、三位一体の改革を放棄することに等しく、受け入れることはできない。今回の制度改正では、政府の肥大化の防止、経済活力の維持・拡充、世代間の不公平是正の観点から、負担に軸足を置いた改革を実現すべきである。すなわち、給付抑制、基礎年金の間接税方式への移行を前提として、現行の保険料率である年収の13.58%を極力上回らない水準で長期間固定すべきである」と提言している。
最終的には政治決着で、2004年の年金改革により、厚生年金の保険料率の引上げを18.3%で停止することが決まり、2017年以降、保険料率は18.3%で固定されたが、医療や介護の保険料率では上昇幅の限界に関する議論が進んでおらず、現在も上限が存在しない。
このような状況のなか、2023年11月の財政制度等審議会(財政制度分科会)の建議では、「報酬改定や医療・介護の制度改革に着実に取り組み、全体として、雇用者報酬の伸びの範囲に医療・介護の給付の伸びを収めていく必要がある」と記載され、国会でも支援金制度や社会保険料負担の問題が取り上げられた結果、2023年12月に閣議決定した「こども未来戦略」の脚注では、「高齢化等に伴い、医療・介護の給付の伸びが保険料の賦課ベースとなる雇用者報酬の伸びを上回っており、このギャップにより、保険料率は上昇している。若者・子育て世帯の手取り所得を増やすためにも、歳出改革と賃上げによりこのギャップを縮小し、保険料率の上昇を最大限抑制する」という内容が記載された。
「最大限抑制する」の「最大限」の意味が何かという問題もあるが、この脚注も閣議決定の一部で立派な「政府の方針」である。まず政府は、子育てを担う現役世代の負担増を抑制し、医療財政改革の次のトリガーを醸成するためにも、2040年度・50年度までの社会保険料率の上昇幅に関する試算を早急に示しながら、社会保険料率の全体に上限を定めることも検討すべきだろう。その上で、筆者は従来から、「医療版マクロ経済スライド」(詳細は小黒(2020)の第5章)を提唱しているが、上記「こども未来方針」(脚注)の方針に従い、政府としても、中長期的な経済成長率と乖離しないよう、社会保障給付費の伸びを微調整する仕組みの検討も本格的に進めることが望まれる。
(参考文献)
・小黒一正(2020)『日本経済の再構築』日本経済新聞出版社
・財務省・財政制度等審議会・財政制度分科会(2023)「令和6年度予算の編成等に関する建議」(令和5年11月20日)
・内閣官房(2023)「こども未来戦略」(令和5年12月22日・閣議決定)
・内閣府(2024)「中⻑期的に持続可能な経済社会の検討に向けて②」(2024年4月2日開催の経済財政諮問会議・資料)