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2040年の経済社会シリーズ:AI時代になぜベーシックインカムが必要なのか?

社会保障制度としてのベーシックインカム

 ベーシックインカム(BI)は、全ての人々に無条件に、最低限の生活を送るのに必要なお金を一律に給付する制度である。給付額は論者によって異なっており、日本では例えば一人に対して月7万円や10万円といった額が提案されている。

 BIへの注目度が特に高まったのは、第三次AIブームが巻き起こった2016年以降である。筆者も、井上(2016)AI時代にBIの導入が不可欠であることを説いた。ただし、AIとは無関係にBIは望ましい制度だと考えられる。

 生活保護のような既存の社会保障制度は、救済に値する者とそうでない者を選り分ける「選別主義的社会保障制度」である。その選別はしばしば失敗し、日本では不正受給がしばしば指摘される一方で、捕捉率はおよそ2割と言われている。つまり、約8割の人は給付を受ける権利があるのに受けられずにいる。

 それに対し、BIは給付にあたって、働けるか否か病気であるか否かを問うことがない「普遍主義的社会保障制度」である。全国民があまねく受給するものなので、取りこぼしがない。理念的には確実に貧困をこの世から無くすことができる。

 もっとも、理念通りにはいかない可能性があるので、生活保護のような既存の社会保障制度をいくつか残しておく方が現実的だろう。その場合、サッカーで例えると、生活保護がゴールキーパであるのに対して、BIはそれより先に貧困を食い止める鉄壁のディフェンスとして機能する。

 現状では、生活保護は8割のシュートを防げずにいる頼りなきゴールキーパである。これは、貧困者が多いにも関わらずそれをいきなり選別しようとすることから来る失敗として考えられるだろう。そうではなく、ゴールキーパの手前に、鉄壁のディフェンスラインを敷くべきなのであり、それがBIの役割である。

 別の言い方をすると、政府がいきなりピンポイントで困っている人だけを救済するのは困難である。そうでなく、まずは一律の給付によって貧困の一掃を試みて、そこからこぼれ落ちる人のみを対象にすれば、人数が少なくなっている分ピンポイントの救済が容易となる。

変動ベーシックインカムの役割と第三のケインジアン

 以上で論じたのは、社会保障制度としてのBIであるが、BIに対しマクロ経済政策の役割を担わせることも可能だ。後者のようなBIは、Standing(2017)では「安定化グラント」と呼ばれているが、ここでは、景気動向に応じて給付額を変動させるので、「変動ベーシックインカム」(変動BI)ということにする。

 社会保障制度としてのBIは、給付額を月7万円などと決定したならば、一定期間額が維持されるので「固定ベーシックインカム」(固定BI)ということになる。そして、変動BIと固定BIを合わせて「二階建てベーシックインカム」(二階建てBI)と呼ぶことにする。

 コロナ危機下では、アメリカや日本などで国民全体に現金給付を行う政策が実施され、結果的に景気の落ち込みを抑制する効果が得られた。このような現金給付や減税を主軸としたマクロ経済政策を、筆者は「第三のケインジアン」と位置づけている。変動BIは、第三のケインジアンにおける発展的な構想である。

 かつては、マクロ経済政策として公共事業が主に採用されており、これが「第一のケインジアン」である。このような政策は、景気が悪くなったからと言ってすぐに橋や道路を建設する計画を立てるのは難しいので機動的ではない。また、建設業のような特定の業種に偏っており、中立的ではない。

 「第二のケインジアン」は、金融政策を主軸としている。ここ230年の間に、マクロ経済政策の重心は公共事業から金融政策へと移ってきた。金融政策は上記の欠点を持たないが、ゼロ金利に至ると効果が限定的になるという新たな欠点を抱えている。

 2013年から始まった黒田日銀総裁の下での異次元緩和は、当初こそはゼロ金利が持続するという期待が醸成されて円安が進み、インフレ率の上昇をもたらした。

 だがその後、イールドカーブ・コントロールやマイナス金利など幾つもの新機軸を導入したが、目標である2%以上のインフレ率を持続させることはできなかった。2022年以降、インフレ率は2%を超え続けたが、それは金融政策ではなくエネルギー資源などの価格高騰によるものである。

 結局のところ、金融政策ではデフレ不況から完全脱却を果たすことはできなかった。消費増税がなければ、こうした脱却が実現した可能性はあるが、それはむしろ財政政策の重要性を裏付けていることになる。

 金利がゼロに至ると、期待に働きかける以外には、有効な金融政策はほとんどなくなる。マネタリーベースを増大させても、金利が下がらないのであれば、直接的には銀行貸出を増大させる効果は得られず、マネーストックは増大しないからだ。

 他方で、マネーストックは、銀行貸出だけでなく政府支出によっても増大し、租税によって減少する。そうすると、政府支出と租税の差額である国債発行額がマネーストックの純増額に相応することになる。

 ここから分かるように、ゼロ金利に至った後、マネーストックを増大させられる主な経済主体は、中央銀行ではなく政府である。既存の標準的なマクロ経済学では、マネタリーな政策は中央銀行の役割とされているが、ゼロ金利下ではむしろ政府の財政政策が無意識のうちにその役割を果たしている。

 政府が国民に対し現金給付や減税を行うことは、可処分所得を高めるだけでなく、マネタリーな政策としても機能する。公共事業を実施した場合でも、同様の機能は働き得るが、上述したような欠点を持つ。したがって、現金給付や減税の方が望ましいマクロ経済政策として考えられるのである。

 ただし、減税は煩雑な手続きを強いる可能性がある。2024年現在、所得税の定額減税が実施されており、全ての納税者は4万円の減税を受けられるが、それだけでなく扶養家族一人に付き4万円ずつ減税額が追加される。そして、その合計が納税額より少ない場合は給付を受けられる。

 こうした複雑な仕組みになっているため、自治体や企業の経理部門は大変面倒な手続きを強いられている。国民全員に4万円給付する方が手とり早いということは、誰の目にも明らかだ。

 減税であっても現金給付であってももたらすマクロ的な効果は基本的には同じだが、減税よりも現金給付の方が簡便である。変動BIは、こうした現金給付政策の延長上にある制度である。

 変動BIの給付額は、ある年は年間で50万円であったり、10万円であったり、0円であったりする。景気が悪ければその額を増大させて景気を押し上げ、景気が良ければ減少させて景気を抑制するのである。

 ただし、このような給付は金利政策と比べるといくぶんか機動性が低い。したがって、おおまかな景気の調整は変動BIが担い、金利政策によるファインチューニングが図られる必要があるだろう。

AIの進歩がもたらす雇用の不安定性

 すでに述べたように、BIAIとは関係なく望ましい社会保障制度であり、有力なマクロ経済政策の手段にもなり得るが、AIが進歩した未来では、BIは必要不可欠な制度となるだろう。

 これまでAIは、大学や企業に属する専門家によって、研究開発され活用されてきた。しかし、2022年に登場したChatGPTのような言語生成AIStable Diffusionのような画像生成AIによってAIは民主化され、誰もが簡単に使える技術になった。

 個人でも生成AIを活用し、自らのアイデアを文章、画像、音楽、動画といったコンテンツの形にすることが可能になりつつある。このことを筆者は「アイデア即プロダクト」と呼んでいる。今後ますます、クリエイター・エコノミーが拡大し、誰もが簡単に創作物を生成し、ネットを介して発表したり販売したりできるようになるだろう。

 その反面、並みの技量ではAIに太刀打ちできなくなるので、プロのクリエイターが食べていくのはますます難しくなる。現在でも、「美術家・デザイナー」の有効求人倍率は0.18倍ほどであり、5人に一人くらいしか職を得られない狭き門である。この倍率は今後ますます低くなるだろう。

 すでに中国では、テレビゲームの作成に必要なイラストを描く仕事が、生成AIが作ったイラストを微修正する仕事に置き換わっている。その結果、これまでイラストを描いていたイラストレーターは、報酬が激減して困窮している。

 「一般事務」もまた有効求人倍率が低く現在0.37倍ほどであり、3人に1人くらいしか職を得られない。逆に、建設の有効求人倍率は5.05倍で、企業が5人募集しても一人くらいしか応募がない。

 ホワイトカラーでは人手が余っている職種が少なくないのに対し、ブルーカラーでは人手不足が深刻である。日本には、労働市場の巨大なミスマッチが存在しており、このミスマッチは生成AIの普及によって今後拡大するだろう。

 クリエイターや事務職だけでなく、会計士や税理士、ジャーナリスト、リサーチャ―、コンサルタントといった専門職など、ほぼ全てのホワイトカラーが生成AIの影響から逃れられない。他方で、ブルーカラーへの影響は限定的である。

 言語生成AIをロボットに組み込む試みが既になされているが、ロボットは今のところ人間の手先の器用さには及ばない。したがって、ブルーカラーでは当面これまで通りの人手不足が続くのに対し、ホワイトカラーの雇用は減らされることになる。

 AIによって労働が節約されても、新たな仕事が増えるので、ホワイトカラー全体で深刻な労働需要不足は生じることはないと考える人もいるだろう。だが、労働供給があれば自ずと労働需要が増大して労働市場の均衡が図られるとは限らない。

 例えば、現在中国やインド、トルコなど多くのアジア諸国でホワイトカラーの人手は大幅にだぶついており、とりわけ若者の失業は深刻である。これは、大学の進学率が急速に上昇し、大学卒業者がブルーカラーの仕事につきたがらないためである。

 今後AIの進歩と普及が進むと、日本でもホワイトカラーの労働需要不足が深刻化する恐れがある。その際に、ホワイトカラーからブルーカラーへの労働大移動が必要となる。ブルーカラーの賃金と地位を今まで以上に上昇させて、大学卒業者が進路先として当たり前に選べるような社会に変えるべきである。

 さらに言えば、ブルーカラーの雇用もいつまでも安泰というわけではない。最もシンボリックなのは、運転手を必要としない完全自動運転車の普及である。それによって、トラックやタクシー、バスの運転手が雇用を減らされるだろう。今でもサンフランシスコや北京では無人タクシーが営業されている。しかし、日本で無人タクシーが普及するのは10年ほど先の話となる。

 いずれにしても、雇用が著しく不安定になる社会は遠くない未来に到来する。今でも、生活保護のような制度によって、困窮している人を選別して支援することは困難である。

 未来には、AIによる失業や報酬の低下が貧困者を劇的に増大させる。そうすると、選別主義的な既存の社会保障制度ではますます対応し切れなくなる。技術の進歩は常に速く、制度の導入は常に遅い。今から、あらゆる人々の生活保障を図るBIのような制度の導入を検討すべきであろう。


参考文献
Standing, Guy (2017) BASIC INCOME, Penguin Books Ltd., London
(池村千秋訳『ベーシックインカムへの道』プレジデント社)
井上智洋 (2016) 『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』文藝春秋

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