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2040年の経済社会シリーズ:GXと2040年の経済社会

 日本経済は、脱炭素をしなければ競争力を失うのか、あるいは脱炭素政策によって競争力を失うのか?政府は、脱炭素に向けた産業政策のパッケージであるGX(グリーントランスフォーメーション)によって、関連投資を促し国内産業の競争力強化を図るためのGX2040ビジョンを年内にまとめるという。2040年という16年後の未来を見通すことは容易ではないが、地球温暖化の緩和策の影響分析にはすでにその2倍の期間の経験がある。米国の経済学者フランク H. ナイトは、その著『危険・不確実性および利潤』において、「知識の問題の存在は過去と異なるところの将来に依存し、他面、問題解決の可能性は将来が過去に類似していることに依存する」と論じた(Knight 1921)。意思を持って創造すべき未来を議論するのに過去を顧みることを後退であるかのように捉える人もいるが、解決に向けた可能性の模索は過去から学ぶしかない。

経済分析は温暖化対策をどう評価してきたか

 未来への16年を単位として時計の針を二回り戻せば、1992年5月は国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の採択時である。地球温暖化対策の経済評価もその前後から活性化された。著者の経験と重ねると、経済の一般均衡モデルの中でエネルギー需給やCO2排出を分析するためのFortranプログラムの開発に集中していたころである。排出削減が日本経済の成長にどれほどの影響を持ちうるのか、当時の通産省(現経済産業省)の官僚と集中的な議論をしながら数量的な評価を始めた。政府がそのように表現することはなかったが、経済的負担を理解しようとする検討とはモデル上では(さまざまなパターンの)炭素税を課すことと同じことである。1997年の京都会議後の数年間では、著者は日本でもっとも多くの炭素税シミュレーションをしていた一人だったかもしれない。だが率直に白状すれば、当時に描いていた未来とは、悲観的にすぎるのか(一国経済の転換の難しさを過大評価しているのか)、あるいは楽観的すぎるのか(現実にはモデルで想定していない弊害が現れるのか)、それはわかっていなかった。

 そこから一回りほど時計の針を進めたころ、日本の温暖化対策は大きな転機を迎えた。2009年9月の民主党への政権交代後、鳩山由紀夫政権によって突如として表明された、2020年における1990年比25%削減目標である。その数カ月前までは、自民党麻生太郎政権のもとで、優秀な通産官僚の仕切りのもとで集中的な議論が行われた(茅 2009, 福井 2009)。それは日本のエネルギー環境政策の策定の歴史において、もっともエビデンスと向き合った初めての(そして最後の)プロセスであったと言ってよいだろう。そこで政府が決定した目標(8%削減)は、政権交代後の「政治主導」の名のもとに一気に17ポイントも高められた。マクロでの17ポイントの持つ意味は重い。

 鳩山政権の新しい目標は、著者のモデル分析では、2020年の日本経済において実質GDPを5.6%低下させると評価された。それは「政治主導」の危なさを痛感させたが、現代的な意義も見出される。鳩山目標を正当化する主張は、削減義務が厳しければ経済が成長し、国民負担は小さくなくなるというものであった。それは、GXによって競争力を高めるとする、現在の政策を正当化する主張となにも変わらない。その主張は論拠を与えるものではなく、意思の表明にすぎないのだ。

 そこで描いた2020年の未来はすでに過去となった。当時のモデル評価における外生的な条件として大きく乖離したものは、東日本大震災による原発稼働停止とコロナ禍による経済停滞である。そうした影響をできるかぎり取り除いた事後評価によれば、2020年の日本経済とは「国内CO2排出量の15%削減が実質GDPの5%減少」として実現したと評価される。それはフェアな評価となるよう理系研究者の協力を得ながら著者が行ったものだが、過去といえども、複雑な現象の解明は一つには定まらない(ぜひ多くの研究者や政府がこの歴史の解明へと取り組んで欲しい)。日本経済の低成長の要因には、民主党政権下(アベノミクス前夜)における過度の円高など、エネルギー環境政策を原因としないものがあることは確かである。しかしエネルギー環境政策は、明示的なコスト負担を伴うもの(再エネ推進のための費用負担や省エネ法への対応など)だけではなく、政府と大企業との日本的な「約束」によってもたらされたものがある。それが与える経済的な影響に、間接効果(地域経済におけるサービス需要などの減少)を加えると、エネルギー環境制約とはエコノミストが一般に考えるよりもずっと大きな停滞要因であったと著者は分析している(野村2021)。こうした評価の困難性を考慮しても、そのボトムラインとして言えることは、「低炭素社会の実現が経済成長を促進させる」とした鳩山政権が抱いた楽観は誤りだったことである。規制強化が成長させる可能性は論理的にはあろうとも、その「条件」が満たされてはいなかったのだ。

なぜCO2排出の抑制は難しいのか

 低炭素社会(25%削減)の実現が難しければ、脱炭素社会(ネットゼロ)の実現がより難しいものであることはほぼ自明だろう。経済学の教科書が教えるとおり、技術水準が一定であれば、追加的な削減のために要するコストは逓増(増加)するからである。だが、そこからも時計の針が一回りした現在、こうした推論が前提とする「条件」はすでに変わったのだろうか。

 検討すべき第一の前提条件は、利用可能な技術である。低炭素・脱炭素に向けた対策のため、安価に利用可能な技術が存在するものとなったのか。これにはエンジニアの見識に耳を傾けるしかない。コストの部分だけを切り出し、あまりにも楽観的なメニューを描くことをビジネスとする人もいるが、著者が限られた能力ながらもさまざまな情報から総括すれば、一定規模までの削減費用は逓減したが(そうした軽微な負荷の技術普及は経済成長にもプラスとなるかもしれない)、30%削減ほどから100%削減(ネットゼロ)に向けて、限界費用が逓増する構造は変わらない。英国エネルギー安全保障・ネットゼロ省(DESNZ 2023)は、2050年には1 トンあたり 378 ポンド(約7.6万円/t-CO2)もの炭素価格を見込む。これほどの炭素価格が社会的に受け入れられる可能性は現在まったくないが、高価なことは確認できる。マスコミが次から次と「切り札」として煽る未来の脱炭素技術は、同等な生産手法の数十%から数倍ものコスト増となる可能性が大きいのである。

 技術者が脱炭素技術へとチャレンジする精神は尊重されるし、研究開発やコスト低廉化に向けたイノベーションへの政府支援は不可欠であろう。現代の科学技術の進展というアウトプットの実現には、研究開発費というインプットが欠かせない。だが温暖化研究者が期待するように、インプットを拡大させればアウトプットに結びつくかは、目的とする個別技術が特定されるほど不確かとなる。科学技術への支援政策が実を結ぶかは、温暖化対策とは別の、しかし同等の難しさを持った厄介な問題である(むしろ政府支援による介入が、逆に研究を停滞させたとする批判も多い)。

 第二の前提条件は、国際的な制度の整備である。世界で効率的に削減できるための国際的な制度が構築され、ネットゼロまでの移行という長期にわたりそれは持続するだろうか。2015年に採択されたパリ協定はそうした制度とは遠い。パリ協定で各国が決定した貢献(2030年における日本の2013年比46%削減目標など)を評価すれば、主要国の削減における負担の度合いは、依然として大きなバラツキが存在している。地球環境産業技術研究機構(RITE)による分析ではおおむね各国の負担度合いには10倍もの格差がある。それは目標達成のための限界的なCO2排出に、日本は10倍ものコストを支払うことを自主的に表明したことを意味している。世界の主要国間において、調和のとれた炭素価格が長期に安定する状態などは、依然として構築されていない。

GXによる空洞化と生産性のリスク

 そのもとでは、国内的な生産の重心は、負担度合いの大きな国(日本や欧州など)から、その小さな国(中国やインドなど)へと移転し、そして世界の排出量は増加する。それは将来の懸念ではなく、この四半世紀の歴史であった。こうしたことは温暖化問題に取り組んだ経済理論学者によって早い段階から看過されてきたが、それが顕在化しようとも十分に顧みられはこなかった。2010年代以降では、とくに欧州と日本が先導した政策は、世界の工場と化した中国の最大の支援者となった。

 パンデミック後の中国では、New Three(新三種)と言われる輸出品―太陽電池、リチウムイオン蓄電池、電気自動車(EV)―が急拡大し、Old Three(旧三種)と言われたかつての代表的な輸出品―家電製品、家具、衣料品―の半分ほどにまで達しようとしている。中国の「大きな政府」による産業政策の成功を支えるものは、先進国政府が創出するグリーン需要という予見性の高い「官需」である。世界的な補助金の縮小に伴ってEVの痩せた実需の姿が浮かび上がってきたように、現在にブームを迎える脱炭素関連需要とは、先進国の政府が創出した虚像かもしれない。企業の眼前にある需要は、その源泉を辿ると、どこかの国の政府による規制や補助金かもしれない。だが需要の源泉はもはやほとんど見えづらいものとなった。かつて政府が発した声は、こだまとして民間から響き、再び政府を後押ししている。だが政策という支えを失えば、眼前の需要は霧消しよう。

 これまで見てきたように、技術と制度、脱炭素政策が機能するための前提条件はいまだ整ってはいない。そのもとでは金融の役割も限定的である。かつての公害防止投資では、比較的に安価な対策技術が存在していたからこそ、その技術導入を支える金融の役割は大きなものとなった。安価な対策技術が存在せず、世界的な炭素価格が不安定である状況では、「切り札」という脱炭素技術に対する金融的な支援を進めようとも、それは補助金や再エネ電気の買取などの政策支援なしには持続しえない。政府が支援を約束し、金融機関を代理人として脱炭素政策を推進しようとも、水素やアンモニアなどの燃料の大きな負担増により(それはエネルギー生産性を低下させる)、日本経済のサプライサイドでは生産性を大きく低下させてしまう。生産性リスクは日本産業の競争力の喪失として顕在化し、政府は支援の継続を断念せざるをえなくなろう。

 金融による脱炭素へのポジティブな役割は限定的だが、そのネガティブな役割は大きい。それが使命であるとして石炭火力への融資を止めれば、電力会社の資金調達コストは上昇してしまう。電力価格上昇を通じたマクロ経済への影響を総括すれば、それは日本経済の全体的な生産効率(全要素生産性)を1%ほど劣化させてしまう大きな負の影響を持ちうる。それを社会的要請だとする認識もあろう。だがその認識を導く声とは、欧州の官僚主義や米国民主党の一部からのものに過ぎない。日本が火力発電の縮小や高価な水素混焼を模索する一方で、ロシア・ウクライナ戦争後のエネルギー価格高騰の経験を受けて、中国はむしろ石炭の備蓄政策を強化している。主要工業国のエネルギー転換の状況を把握する著者らの構築する速報値(エネルギーコスト・モニタリング:ECM)によれば、コロナ前(2019年)から2023年までに主要先進国は10–30%など石炭の国内消費量を減少させたが、中国は30%近く増大させている。

エコノミストは何を考えるべきか

 2040年、脱炭素の官需が実需へと変貌を遂げうるのかはわからない。評論家は「脱炭素の流れは変わらない」と繰り返すが、それは伝言ゲームと変わらない。多国籍企業には、自らの需要とその源泉を見極めながら、両面の戦略が求められる。しかし企業と国内経済ではリスクの性格が大きく異なっている。企業はGXによる政府支援によってリスクを軽減できると考えるが、転換の難しさを熟知しているエネルギー多消費産業は、国内生産からの移転を静かに進めている。国内で市場の閉じるエネルギー供給業の一部は、十分に価格転嫁できることを担保できれば政府の代弁者と化している。だが国内経済は、しばしの官需の宴に酔った後、空洞化リスクと生産性リスクに襲われ、G7の中でもっとも競争力を喪失する国となろう。政府は、ネットゼロを探る企業への支援よりも(真にコスト負担をする覚悟のあるものはごく一部に過ぎない)、国内生産を維持・発展できる環境整備へと注力するよう回帰しなければならない。

 観察される温暖化に対して、エコノミストはこれまでそれが人為的であるかどうかにあまり意識を払うことなく、その要因が依然として「定まっていない」(Kunin 2021)とする物理学者たちの声を聞くこともなかった。また気候モデルの試算を事実であるように受け入れてもきた。だが、もし気候システムが経済システムと同程度にも複雑であり、もしグローバルな気候を描写するモデルとはグローバルな経済を描写するモデルと変わらない不確実性があるとすれば、賢明なるエコノミストはその有効な利用法を再考するだろう。それはグループシンク(集団浅慮)に陥ることなく、誰もが健全に問うべき課題である。今年には科学的知見としてきわめて説得力のある映画(Climate: The Movie 2024)も無料公開されている。

 そして温暖化への対策としては、CO2排出を削減することによって温度上昇のわずかな「緩和」を目指すよりも、温暖化への「適応」へと、議論の焦点を移す意義は増大している。途上国による適応のために先進国の支援が必要であるとしても、おそらく後者のコストは前者に比してはるかに安価となりそうである。CO2排出抑制のために経済活動を制約するのではなく、それを活性化させ現在の豊かさを持続・発展させることができるならば、将来世代はより多くの、そしてより安価な技術メニューを持つに違いない。それはより有効な適応を可能とするとともに、現在に想定される以上の緩和にも貢献しうるだろう。2040年の日本経済とは、現世代の選択に依存して、大きな岐路に立っている。


*本レポートは当研究所で開催している「2040年の経済社会研究会」の内容をご紹介したものです。


参考文献
Climate: The Movie (2024) https://www.youtube.com/watch?v=BxP2LDDPBBQ.
DESNZ (2023) “Electricity Generation Costs 2023,” Department for Energy Security and Net Zero, the UK Government, Updated in November. 
Knight, Frank H. (1921) Risk, Uncertainty and Profit, Boston and New York: Houghton Mifflin Company. 
Kunin, Steven E. (2021) Unsettled: What Climate Science Tells Us, What It Doesn't, and Why It Matters, BenBella Books.
茅陽一編(2009)『CO2削減はどこまで可能か::温暖化ガス–25%の検証』(慶應義塾大学産業研究所選書), エネルギーフォーラム.
野村浩二(2021)『日本の経済成長とエネルギー:経済と環境の両立はいかに可能か』慶應義塾大学出版会.
福井俊彦編(2009)『地球温暖化対策中期目標の解説』ぎょうせい.

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