振り返ってみれば「デフレ脱却」

SBI金融経済研究所 研究主幹・チーフエコノミスト

増島 稔

 日経平均がバブル期最高値を更新した222日、報道番組であるエコノミストが1980年代末にかけての株価上昇について「振り返ってみればバブルだった」とコメントしていた。今となっては誰もが認める「バブル」だが、渦中にいるときにそう判断するのは難しい。「デフレ脱却」もそうだ。

 政府は「物価が持続的に下落する状況」を「デフレ」と定義しており、これまで二度、デフレを認定している。最初は20014月から20066月までの期間、二回目は200911月から201311月までの期間だ。「持続的」な下落がどの程度の期間を意味するのかは明確には定義されていないが、IMFBISによれば、少なくとも2年間と考えられている。現在、消費者物価(生鮮食品を除く総合)は前年比2%程度で上昇しているのでデフレとはほど遠い。

 日本銀行は早ければ今月、2%物価目標の達成が見通せるようになったとして、マイナス金利政策を解除するだろう。そうした中、政府もデフレ脱却を宣言するのではないかという観測もみられる。デフレ脱却とはどういう状態か?政府は、「物価が持続的に下落する状況を脱し、再びそうした状況に戻る見込みがない」状況と定義している。前段の条件は満たされている。問題は後段の条件だ。日本経済研究センター『ESPフォーキャスト調査』によれば、消費者物価上昇率の見通しは、低い予測を出している機関の平均(低位平均)でも、2024年で1.7%、25年から29年の平均で0.9%、30年から34年の平均で0.7%だ。デフレに戻る可能性は低い。しかし、デフレ脱却は「悪魔の証明」だ。何事も見込み(可能性)がないことを証明するのは難しい。

 さらに、ここにきて、政府はデフレ脱却の判断のハードルを一段と上げている。従来、デフレ脱却は、消費者物価、GDPデフレーター等の物価の基調や背景を総合的に考慮し慎重に判断するとしてきた。物価の背景としては、需給ギャップ、単位労働コストという物価変動要因が例示されていた。需給の改善が賃金や物価を持続的に押し上げる姿をデフレ脱却として想定していたからだ。しかし、昨年11月には『デフレ完全脱却のための総合経済対策』を策定し、賃金や設備投資が上昇し賃金と物価が好循環する「デフレ完全脱却」を目指すようになった。内閣府が2月に公表した『日本経済レポート』では、デフレ脱却を需給ギャップと単位労働コストで判断するのは慎重であるべきであり、賃金上昇、企業の価格転嫁の動向、物価上昇の広がり、さらには予想物価上昇率などの幅広い角度から、総合的に経済物価動向を確認していくべきとしている。デフレの背景にあった経済構造が変化しているかどうかを慎重に検討し「デフレ完全脱却」を判断しようという姿勢を明確にしている。

 もっとも、論理的には、デフレ脱却への決意とともにデフレ脱却を宣言することもできなくはない。仮に、例えば円高が進んで一時的に物価が下落する局面があったとしても、持続的に物価が下落しないように政策を総動員して物価をあげればデフレに再び戻ることはないからだ。為政者には自らの経済政策の成果を喧伝したいという思いがあるのは当然のことであろう。過去には「戦後最長の景気拡大」を宣言した例もある。しかし、足元では、景気が足踏みしており実質賃金も前年比マイナスが続いている。そうした中で、デフレ脱却を宣言すれば、国民から批判も出よう。そうしたリスクを冒してまでデフレ脱却宣言をするメリットがあるとは思えない。

 政府がデフレ脱却宣言をしないとすれば、日本銀行の金融政策と政府の経済認識の整合性が取れなくなると考える向きもある。しかし、デフレ脱却は政府の目標であり、2%の物価目標は日本銀行の目標だ。両者に直接的なリンクはない。日本銀行が金融政策の正常化に着手しても、異常な金融緩和の副作用を軽減しているに過ぎない。緩和的な金融環境は維持される。政府がデフレ脱却を宣言せず、デフレ完全脱却を目指してデフレを招いた経済構造の克服に取り組み続けていても矛盾はない。

 今後、一時的に物価が下落する局面が出てくることはあるだろう。しかし、構造的な人手不足が続く中で、再びデフレに戻る可能性は低い。すでにデフレを脱却しているといえなくもないくらいだ。だとしても、結局、その判断は事後的にするしかない。だれもがデフレを脱却したと思うようになるにはもう少し時間が必要だ。振り返ってみれば「デフレ脱却」をしていたと言える日がやがてやって来る。