SBI金融経済研究所

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レポート Report

ASSA年次総会参加報告 -マクロ経済学の最先端に触れる -

はじめに

 本レポートではAllied Social Science Associations (ASSA) 年次総会への参加報告を兼ねて、そこで触れることができたマクロ経済学の最先端について紹介する。

 ASSA年次総会はアメリカ経済学会(American Economic Association)を中心に多数の学会が共同で毎年年初に開催している。2025年の年次総会は、1月3日から5日の3日間にわたりカリフォルニア州サンフランシスコの複数のホテル会場で実施された。経済学、金融に関する500を超える学術セッション、常時行われている講演やパネルセッション、合同昼食会、展示ホールの設置など、その圧倒的な規模、熱気は感動的ですらあった。以下では筆者が感じた興奮の一端をお伝えしたい。

参加目的

 参加にあたっての筆者の目的は大きく2つあった。一つはマクロ経済学の最先端に触れることであり、もう一つは、この世界最大規模の経済学会に参加することで研究者間のネットワークを広げることであった。

 SBI金融経済研究所における筆者の主たる業務はマクロ経済分析であり、特に2024年度に設置された「2040年の経済社会研究会」の事務局として、研究自体にも携わっている。今回、最先端の研究を知ることは、近未来における経済社会のあるべき姿を描き、それを実現するための政策を提言する力につながるものと考えた。経済社会を展望することは、当研究所の主たる研究テーマである次世代金融の進むべき方向を検討する際の前提となり、ひいてはグループ全体に資するものとなるであろう。

 また、年次総会は世界中から著名経済学者が集まると同時に、優秀な若手研究者の就職活動の場としても活用されている。この場に参加することで、こうした若手研究者を含めた多くの研究者との交流の機会を得て、ネットワークを広げ、研究所の名前を売り込んでいくという意図もあった。

大規模サーベイデータによるマクロ的現象の分析

 論文セッション”Inflation: Expectations, Perceptions, and Beliefs”および”Macroeconomic Uncertainty and Expectations: Measurement and Implications”への参加は、現代のマクロ経済学の動向を知るうえで貴重な経験となった。マクロ経済学における「Expectation(期待)」の役割の重要性はここで強調するまでもない。例えば、合理的期待はマクロ経済モデルにおいて頻繁に用いられる。この仮定は、モデルを扱いやすくする一方で、期待形成のメカニズムを極度に単純化しており、現実からかけ離れていると批判されることも多い。マクロ経済モデルでは、分析の可能性を高めるため、しばしば現実を極度に単純化した仮定が用いられる。今回、期待に関わる2つのセッションに参加し、現代のマクロ経済学がこうした問題に対して真摯に取り組んでいることを感じた。ここでは、2つの研究を簡単に紹介したい。

  “Inflated Concerns: Exposure to Past Inflationary Episodes and Preferences for Price Stability”Nicolas E. Magud and Samuel Pienknagura, 2024)は、個人の過去のインフレ経験が物価上昇に対する懸念の程度に影響することを示したものである。一見当然のように思える結論であるが、その示唆するところは深く、多くのマクロ経済モデルで想定されている「同質な(homogeneous)経済主体」や「合理的期待形成」が現実において必ずしも成立していないことを意味している。彼らの研究は40年以上の長期にわたる42か国の大規模な個人レベルのサーベイデータを用いたもので、個人の就労期間におけるインフレ経験のタイミングや中央銀行への信頼度などもインフレ懸念の大きさに影響することを示唆するなど、厳密で興味深い分析結果となっている。

 また、“What Explains the Consumption Decisions of Low-Income Households?”Sasha Indarte, Raymond Kluender, Ulrike Malmendier, and Michael Stepner, 2024)はマクロ経済モデルで想定される合理的期待に基づいた「摩擦のない(frictionless)」理論的な消費水準と、実際の消費水準がどの程度乖離しているのかを明らかにした研究である。サーベイデータから収集した消費、所得、資産などのデータを銀行取引データとリンクさせて実際の消費行動を詳細に追跡した分析で、流動性制約下にある低所得世帯の「過小」消費(理論的な消費より小さいという意味)の世帯のみならず、「過大」消費(同じく大きいという意味)の世帯の存在についても言及している点が非常に面白い。

 以上の2つの論文は、マクロ経済モデルで単純化されがちな経済主体の行動決定や期待形成が現実においてはどのようになされているのかを分析し、明らかにしたものである。分析で用いられていたのはマクロのデータではなく、個票データであった。これら以外でも、2つのセッションで報告があったほぼ全ての研究が個票データを利用した分析であったことには正直驚いた。マクロ的現象を大規模サーベイデータで分析するという最先端の流れを実感できたことは、筆者にとって今回の大きな収穫であった。なお、SBI金融経済研究所は2022年度から毎年度、世界主要国における暗号資産・ステーブルコイン・セキュリティトークン・NFTといった次世代金融商品に関する認知度や投資経験に関する「次世代金融アンケート調査」を実施している。こうしたサーベイデータの蓄積は、経済学や金融といった学術分野に対して大きな貢献となりえることを再確認することができたことも良い経験となった。

合理的期待と学習モデル

 期待の役割に関連して、初日に参加したジョイント・ランチョンにおけるEmi Nakamuraの「合理的期待についての合理的な考え方(Being Rational about Rational Expectations)」は素晴らしい講演であった。ここでは、合理的期待は多くの先行研究における検定で統計的に棄却(reject)されていること、経済の最新情報に常にアクセス可能な専門家の予測においてすら棄却されることを述べた上で、人々が「非合理的」であるという結論に安易に飛びつくことはしていない。すなわち、合理的期待の検定は

-人々が「合理的な決定」を下していること

-彼らがデータを生成する真のモデルを「知っている」こと

の両方を同時に検定するもので、現実において、専門家を含めた人々が真のモデルを「知っている」のではなく「学習している」過程にあるとしたら、合理的期待は検定において棄却されるということである。

 キーワードは「学習」であり、経済モデルが少し複雑になるだけで、パラメータの学習は非常に難しくなり、真のモデルを知るまでに長い時間がかかる可能性が出てくる、というのが講演のメインメッセージであった。彼女自身による論文、” Learning about the Long Run”Leland E. Farmer, Emi Nakamura, and Jon Steinsson, 2024)で示されているのはまさしくそうしたモデルであり、たった3本の式と3つのパラメータしかないが、「合理的」な予測者がパラメータの学習を重ねて経済の真の構造を知るのに数十年を要することになる。つまり、データが合理的期待を否定したとして、そのことは必ずしも人々が「非合理的」であることを意味しているわけではなく、長期的な学習を組み込んだモデルを考えることこそ「合理的」というのが講演の結論であった。

 筆者は、大規模データが入手できる現代において、経済モデルを構築する意義は薄れつつあるのではないかという印象を持っている。実際、講演でも複雑な経済モデルが予測においてはあまり有効ではないことが述べられていた。しかし、それでもモデルは経済の構造を理解する上で重要なツールであり、今回の参加を通じて、マクロモデルは、経済主体の「学習」そして「異質性(heterogeneity)」を組み込む方向で発展していくことが感じられた。

ベン・バーナンキと「フィナンシャル・アクセラレーター理論」

 3日目のパネルセッション、”Ben Bernanke’s Contributions to Economics”への参加は個人的にどうしても外すことができないものであった。バーナンキは筆者にとってのアイドルの一人である。"The Financial Accelerator in a Quantitative Business Cycle Framework"Ben S. Bernanke, Mark Gertler, and Simon Gilchrist, 1999)は、筆者が研究者を目指すきっかけとなった論文である。すでに2日目のパネルセッション、”Inflation and the Macroeconomy”においてバーナンキはジェイソン・ファーマン、ジョン・コクラン、クリスティーナ・ローマーとともに足元のインフレーションの要因についての討論を行っていた。当然、この2日目のセッションも興奮したが、3日目のセッションについては、上述の論文の共著者であったマーク・ガートラーがパネリストとして参加しており、筆者の感動はピークに達した。

 ガートラーは「フィナンシャル・アクセラレーター理論」(実体経済の低迷が資金の借り手のバランスシートを弱体化させ、それが更なる実体経済の悪化に結び付くという悪循環)を非常にわかりやすく説明してくれた。彼らが当時構築した理論は現代においても通用するもので、金融危機を深刻化させる典型的なメカニズムとして常に頭に入れておくべきものだと納得させられた。同時に、理論とバーナンキの姿は、筆者に研究を始めた当初の気持ちを思い起こさせ、研究活動に向けた新たな活力を与えてくれた。

(備考)2025 ASSA Programのホームページより転載。

結論

 今回、ASSA年次総会への参加を通じて得ることができた知見、活力は他では得難い貴重なものであった。この経験は「2040年の経済社会研究会」をはじめとする日々の研究活動の中で十分に活かすことができるものである。ネットワークを広げるという意味でも、何人かの若手研究者との交流もあり、十分な成果を得た学会参加となった。

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