気候変動を巡る国際金融規制:バイデン政権時代の振り返り (1)
はじめに
米国のバイデン政権時代では、気候変動を巡る国際金融規制については、欧州を中心に様々な動きがあった。今後、バイデン政権からトランプ政権へと移行をする。トランプ政権では、閣僚の中に、ESG懐疑派の人を配置するなど、今後の見通しについては、予断を許さない。これまでのバイデン政権時代の気候変動を巡る国際金融規制当局の動きについて、2回に分けて振り返って総括をしてみたい。
国際的な気候変動関連の企業開示規制の導入
バイデン政権が発足する前の2020年の夏頃においては、気候変動を巡る金融規制の話は、あくまでも欧州が中心という感覚があった。ところが、バイデン氏が、大統領選において、気候変動の取組を政権の主要課題の一つとし、外交政策上の柱とすると述べて勝利をすると、国際金融規制当局の空気は一変した。
気候変動がもたらすリスクには、水害等を始めとする物理的リスクと、規制や消費動向の変化等に起因する移行リスクとがあり、それに対して金融システムの安定を確保する為に金融機関に十全のリスク管理を求める必要がある。更には、こうしたリスクを根本的に減らしていく為には、社会・経済のグリーン化を進める必要があり、その為にはサステナブル金融商品市場の整備が必要である。
このように概念的には整理されたが、実務に落すにはデータがない。データを得る為には、まずは企業に開示をして貰う必要がある、ということで、国際的な開示基準策定が最初の主戦場となった。当時、気候変動関連の開示の中で最も広く認知されている開示基準としては、金融安定理事会(FSB)の下に設立された気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)が取りまとめたTCFD提言があったが、その他にもさまざまな開示基準が乱立をしていた。
これでは、折角データが出てきても、比較したり合算したりすることが出来ず、また、開示を求められる企業からは、気候変動関連の開示の義務化は仕方がないとしてもいくつもの違う開示基準で開示を求められるのでは負担が重いので、開示基準を統一したものにして欲しいという切実な要求があった。
2021年のG7の議長国であり、かつ同年11月に開催されるCOP26の開催国でもあった英国は、ジョンソン首相の指揮の下、TCFD開示の義務化をG7で合意しようと動いた。TCFD開示は、主として気候変動が企業のビジネスや財務にどのような影響を与えるのかという点について焦点を当てた開示であったが、大陸欧州諸国は、それに加え企業が環境にどのような影響を与えるのかについても開示をすべきであるというスタンスであった。
我が国では、当時TCFD提言に賛同する企業数が世界で一番多かったこともあり、TCFD開示を軸にすること自体には違和感はなかったが、これを法定開示の枠組みに取り込んでいくには、それに付随する監査・保証をどうするのか等、詰めるべき論点も多く、法定開示の枠組みの下でのTCFD開示の義務化には俄かには賛成しかねるというスタンスであった。
米国は、2021年初頭は政権移行期でもあり、個別の問題に対する政権の政策スタンスが定まっていなかった為、実に広範な論点について意見募集を行うことで時間稼ぎに出た。その後、紆余曲折の議論を経て、2021年6月のG7財務大臣・中央銀行総裁会議のコミュニケでは、「気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の枠組みに基づく、義務的な気候関連財務開示へ、国内の規制枠組みに沿う形で向かうことを支持する。」「TCFDの枠組み及びサステナビリティ基準設定主体の作業を基礎とし、これらの主体と幅広いステークホルダーを緊密に巻き込んでベストプラクティスを形成するとともに収斂を加速させて、このベースラインとなる基準を策定する、国際財務報告基準財団(IFRS財団)の作業プログラムを歓迎する。」という文言で纏まった。
この合意の下で、我が国においては、当面はコーポレートガバナンスコードの枠組みの下でTCFD開示を求めることとし、また欧州においては、TCFDの枠組みを基礎とし、更に企業が環境に与える影響についての開示を追加的に上乗せするアプローチ(building block approach)を取ることとされた。米国においても、TCFD開示を基礎とした米国の開示基準を米国証券取引委員会(SEC)が策定していくこととなった。
なお、このコミュニケで言及された、IFRS財団による国際的なベースラインとなる国際基準策定については、2022年半ばに基準案が最終化され、今はこれをベースに各国が国内の法定開示の枠組みへの導入を進める段階となっている。
気候変動タクソノミーとトランジション・プラン
国際的に一貫して比較可能な開示基準に基づくデータが出てきたとして、次に必要なものは、何が気候変動の観点から持続可能なものなのか、ということを判断して分類する基準である。
この点においては、EUがタクソノミー策定の作業で先行をしていたが、その他にも例えばアジアでは、シンガポールがAPEC向けのタクソノミーを策定しているほか、香港も独自のタクソノミーを用意している。各国のアプローチがばらばらであると、取引コストが高くなり、透明性が欠如し、市場の分断をもたらすとともに、所謂グリーンウォッシングを惹起するおそれがある。
当初は、EUのタクソノミーが国際的な基盤になるのではないかと思われていた。しかしながら、EUタクソノミーは、例えば電気自動車は良いがハイブリット車は不適合、風力発電は良いが石炭火力は不適合というように、良い悪いの二進法アプローチを取るものであるが、これでは二酸化炭素を多く輩出する新興国にとっては厳しすぎる。むしろ、企業による効率改善やイノベーションという移行(トランジション)の努力を積極的に評価して後押しすることが低炭素社会の実現には重要ではないかという議論が高まってきた。
この結果、2021年秋のG20サステイナブル・ファイナンス・ロードマップでは、「サステナブル・ファイナンスの調整アプローチにトランジション・ファイナンスの考慮を一層統合すること」と言う文言が盛り込まれ、EUタクソノミーを国際的なベースとする方向にはならなかった。
トランジション・ファイナンスについては、その後、特に欧州を中心に、移行計画(トランジション・プラン)の開示を求める方向の動きがみられている。例えば欧州の企業開示基準においては、二酸化炭素を多く排出する資産や商品からフェードアウトする計画とトランジション・プランが、全体のビジネス戦略及び財務計画にどのように組み込まれているかについての説明が求められている。また、2024年に取りまとめられたCorporate Sustainability Due Diligence Directiveにおいては、気候変動に関するパリ協定と整合的な脱炭素移行計画を策定し、実施することが求められるとしている。
英国においては、TCFD開示規制の中で、上場会社と資産運用会社に対し、トランジション・プランの開示を求めているほか、英国財務省にトランジション・プラン・タスクフォースを立ち上げ、トランジション・プランにおいてどのような内容の開示を求めるべきかについて、規制に取り込むことができる水準にまで練れた、詳細かつ具体的な内容を伴った最終報告書を2023年10月に公表している。英国では、IFRS財団の策定した開示基準を国内基準に取り込む際に、このトランジション・プランの開示についても盛り込む方向となっている。
このように、欧州においては、トランジション・プランの策定・開示の方向で進んできているが、他方で米国では、企業がトランジション・プランを開示するように求められていないなど、世界全体としての動きが区々なのも事実である。トランジション・プランがネットゼロへの実態経済の道筋を示す中心的な役割を潜在的に担うのではないかとの関心が高まってきたことから、気候変動等に係る金融当局ネットワーク(NGFS)は、各国の規制・監督上のトランジション・プランの位置づけや取扱い等についてサーベイ調査を実施している。
2024年の報告書においては、トランジション・プランについて、一定の前向きの評価をしつつも、トランジション・プランにあるデータの利用可能性、比較可能性及び信頼性に課題が残されているとし、トランジション・プラニングやトランジション・プラン開示の為の枠組みについての一貫した国際的なガイダンスを策定する必要があるほか、そうした開示を促す全経済的なインセンティブ付けをすれば、トランジション・プランの採択の幅を広げ、情報ギャップを埋めることに役立つであろうとしている。
続く第2回では、開示規制と並びイシューとなったグリーンウォッシング対策に触れたうえで、気候変動リスクに対する銀行規制・監督規制当局の動きを振り返る。