2026年8月10日
投資行動を捉える次世代の分析基盤
―個人投資家のパーソナライズ支援に向けて―
本稿では、多様な個人投資家にパーソナライズされた意思決定支援を実現するための取り組みを紹介する。個人特性、投資行動、市場の三種類のデータを統合した分析基盤を活用し、投資家の特性や市場環境と投資行動との関係を捉えることで、一人ひとりの意思決定の傾向に応じた支援へとつなげることが可能になる。
人間らしい非合理的な意思決定
人は、必ずしも合理的に意思決定しているわけではない。これは、行動経済学が様々な実証研究を通じて明らかにしてきた事実である。
私たちは日常の中でも、合理的とはいえない判断をしてしまう。セール品を見ると、本当に必要でなくても「今買わないと損をする」と感じて買ってしまう。商品の情報を十分に確かめないまま、口コミの多さに安心して選んでしまう。過去にうまくいった選択を、今回も正しいはずだと思い込む。こうした判断は、後から振り返れば冷静さを欠いていたようにみえても、その時点ではむしろ当然の選択のように感じられる。
投資にも、これとよく似たことが生じている。損失が出ている銘柄をなかなか損切りできず、逆に、利益が出ている銘柄は早く売ってしまう。過去に利益を得た銘柄に強い思い入れを持つこともあるし、過去に大きな損失を出した銘柄には好材料があっても手が出にくい。上昇相場のときにはさしたる根拠なしに「まだ上がる」と感じたり、下落相場のときには「もっと下がるかもしれない」と不安に苛まれる。SNSやニュースで強気な意見を目にすると安心し、弱気な見方を目にすると判断が揺れることもある。
こうした判断や行動は、単なる知識不足や経験不足だけで説明できるものではない。不確実な状況の中で、過去の経験や周囲の情報を手がかりに判断しようとする、人間らしい意思決定の表れである。
投資の意思決定に潜む行動バイアス
行動経済学では、このような判断の偏りを「行動バイアス」として捉えてきた。行動バイアスとは、人間がものごとを理解し、判断する際に生じやすい「認知の癖」である。
ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは、著書『ファスト&スロー』の中で、人間が限られた時間や情報のもとで、経験や印象を手がかりに直感的な判断を行っていることを示している。人間は、あらゆる情報を詳細に検討するのではなく、経験則や目につきやすい情報を手がかりとすることで、スピーディな意思決定が可能になる。
こうした判断の仕組みは、日常生活において効率的であり、多くの場合は有効に機能する。一方、置かれた状況や与えられた情報によっては、物事の捉え方や評価に一定の偏りを生じさせることがある。行動バイアスは、特定の人だけに見られる例外的な現象ではなく、人間の意思決定の仕組みから自然に生じる普遍性をもったものである。
投資における行動バイアスは、リスクの受け止め方や売買のタイミング、保有や売却の判断などに影響し、その結果として投資成果を左右する可能性がある。ただし、本人がこうした認知の癖を自覚しているとは限らない。
だからこそ、自分がどのような状況で、どのような情報に影響され、判断を偏らせやすいのかを理解することが重要になる。
投資家によって異なる意思決定
同じ状況や情報に接していても、それをどのように受け止め、どのような意思決定をするかには、投資家ごとに違いがある。例えば、利益や損失に対する心理的な受け止め方は、こうした個人差が表れる具体例の一つである。
我々は、独自に取得した約10万人のデータを用いて、この違いを実証的に分析した。具体的には、調査対象者を性格特性に基づいて分類し、その代表例として「慎重型」と「直感型」の二つのタイプを比較した。慎重型は、物事を丁寧に確認しながら判断しようとするタイプである。直感型は、自らが感じた印象や感覚を手がかりに判断するタイプである。

図表1 利益や損失に対する心理的な評価
(出所)筆者作成
上図は、我々の調査結果に基づき、100万円の利益または損失が生じたときの心理的な反応の強さを、投資家タイプ別に示したものである。100万円の利益に対する心理的な評価は、慎重型では140ポイント、直感型では165ポイントとなっている。一方、100万円の損失に対する心理的な評価は、慎重型ではマイナス156ポイントであるのに対し、直感型ではマイナス298ポイントにまで拡大している。つまり、直感型は慎重型よりも利益を大きく感じるだけでなく、損失についてはより大きなダメージとして受け止める傾向が示された。
この事例は我々の独自分析による一例に過ぎないが、同じ市況変動や同じ損益に直面しても、個人の特性によって、その出来事をどのように受け止めるかには違いがある。例えば、金融資産が1億円ある投資家と100万円の投資家では、50万円の損失の評価は全く異なるだろう。また、金融資産が2,000万円から1,000万円に半減した投資家と、500万円から1,000万円に倍増した投資家とでは、現在の資産額は同じでも、その後に生じる100万円の損失の痛みも異なるだろう。さらに、同じ100万円の損失でも、明確な損切ルールで損失を確定させた投資家と、何らかの事情でやむなく売却し、損失を確定させた投資家、ポジションを整理せず評価損のまま抱えている投資家では痛みの感じ方も異なるだろう。
したがって、投資家支援においても、すべての人に同じ情報や注意喚起を提供するだけでは十分ではない。投資家ごとの情報の受け止め方や判断の特徴に応じて、支援の内容や伝え方をパーソナライズしていくことが重要である。
個人投資家の意思決定を捉える分析基盤
多様な個人投資家に応じた支援を実現するには、どのような投資家が、どのような状況で、どのような行動を取ったのかを、一連のプロセスとして分析することが欠かせない。
そのためには、少なくとも三つの側面に関するデータを、個人単位で統合する必要がある。第一は、年齢や性別などの属性、パーソナリティ、損益の受け止め方などを示す「個人特性データ」である。第二は、売買した銘柄、取引量、売買のタイミングなどを記録した本人の「投資行動データ」である。第三は、株価やリターン、値動きの大きさなど、市場や銘柄の状況を示す「市場データ」である。
もっとも、こうしたデータを統合し、継続的に分析できるかたちで整備することは容易ではない。個人特性データや投資行動データの取得機会は限られる。また、プライバシーに配慮しながら、同一の投資家について継続的に収集する必要もある。そのためのシステム接続の工夫が技術的な要となる。さらに、市場は時間とともに変動するため、中長期にわたるデータの蓄積が前提となる。これらを実現する仕組みの構築においては、ファイナンス、データサイエンス、システム開発等の領域を横断した専門的な知識と設計・運用能力が求められる。
この課題に対して我々は、個人特性、投資行動、市場に関するデータを継続的に収集・整備し、個人単位で統合する情報システム機能を備えた、個人投資家の意思決定を分析する基盤の構築を進めている。この基盤に収録される主なデータは、以下のとおりである。
図表2 3つの性質が異なるデータ群
| データ区分 | 収録される主なデータ | 取得・整備方法 | 分析できること |
| 個人特性データ | 属性、パーソナリティ、感情特性、認知特性、行動バイアス、リスク認識など | アンケート調査、選択課題、仮想的な市場状況への回答などを通じて取得・推定 | 投資家がどのような特徴を持ち、情報や損益をどのように受け止めやすいか |
| 投資行動データ | 注文・売買履歴、注文価格、数量、注文方法、売買のタイミング、保有・売却行動など | 協力者から提供された取引履歴を、プライバシーに配慮して匿名化・蓄積 | 投資家が実際に、いつ、どの銘柄を、どのような条件で売買したか |
| 市場データ | 株価、リターン、値動きの大きさ、出来高、流動性、業種、市場局面、銘柄に関する情報など | データベンダーより時系列データを取得し、投資行動が生じた時点と対応づけて整理 | 投資判断が、どのような市場環境や銘柄の状態のもとで生じたか |
(出所)筆者作成
これらのデータは、それぞれ一定の情報をもたらすが、個別に分析するだけでは投資家の意思決定を構造的に捉えることは難しい。
例えば、個人特性データからは、投資家の属性やパーソナリティ、リスクの受け止め方などを把握できるが、それらが実際の市場でどのような売買行動として現れたのかまでは分からない。一方、投資行動データと市場データを組み合わせれば、どの市場局面で誰が買い、誰が売ったのかを追跡できる。しかし、その投資家がどのような特徴を持つのかが分からなければ、同じ市場環境でも投資行動の背景情報を捉えることは難しい。
データを統合することにより、はじめて、投資行動を、個人特性と市場との関係から分析できる。これにより、例えば、どのような特徴を持つ投資家に特定の行動バイアスが強く表れやすいのかを検討し、さらに、そのバイアスが、どのような市場環境のもとで、どのような投資行動として表れやすいのかといった詳細な分析が可能になる。
分析基盤の活用事例
我々の分析基盤を投資家支援に活かす一例として、個人投資家の感情や行動バイアスの動きを推定・可視化する「トレード・モンスターズ」を紹介する。
トレード・モンスターズは、市場環境の変化に応じて、自分にどのような感情や行動バイアスが表れやすく、それがどのような投資行動につながりやすいのかを可視化し、自らの反応傾向への理解を支援するプロダクト(試作版)である。

図表3 トレード・モンスターズの画面イメージ
(出所)筆者作成
画面右上には、パーソナリティ診断に基づく利用者の個人特性が、投資家タイプとして表示される。左側には個別銘柄の値動きと感情の推移、右側には市場の変化に応じた感情や行動バイアスの表れやすさが示され、買いと売りのそれぞれの視点から確認できる。
表示されるのは、投資家の個人特性と、日々変化する市場環境の組み合わせから推定される感情や行動バイアスの反応傾向である。同じ投資家であっても、対象となる銘柄や相場局面によって、反応の表れ方には違いがある。これにより利用者は、自分がどのような状況で、どのような感情が反応し、どのようなバイアスの影響を受けやすく、それがどのような投資行動につながりやすいのかを確認できる。
トレード・モンスターズの狙いは、投資家ごとに異なる自らの反応傾向に気づき、売買の前に立ち止まって判断を見直すことで、より納得感のある意思決定を可能にすることである。天気予報で雨の可能性を知れば傘を用意できるように、自分に特有の反応が生じやすい局面を知ることは、大雨でずぶ濡れにならない(後悔ある投資を避ける)ための備えとなる。
一人ひとりに応じた支援へ
我々の分析基盤の意義の一つは、多様な投資家の投資行動について、その判断に至った背景を、個人特性と市場の関係から整理できる点にある。これにより、一様になりがちな知識提供や注意喚起を、投資家ごとの特性や、その時々の市況に応じた支援へと発展させることが可能になる。
例えば、相場が急落した局面を考えてみる。「冷静に判断しましょう」と伝えても、その受け止め方は投資家によって異なり得る。損失を強く受け止めやすい投資家には、「不安の対象を整理し、判断を急がないための情報」を提供することが有効である。一方、損失を過小に捉えやすい投資家には、「下落による影響や確認すべきリスク」を具体的に示し、熟考を促すことが重要になる。
こうした投資家理解は、個人投資家と向き合う企業にとっても重要である。投資家が企業から発信された情報をどのように受け止め、判断に結び付けているのかを捉えられれば、その特性や判断傾向を踏まえた情報発信が可能になる。これは、IRコミュニケーションをより実質的なものとし、企業と個人投資家の相互理解や、中長期的な企業価値への理解につながる可能性がある。
近年、個人が自ら資産形成に向き合う流れが進んでいる。だからこそ必要なのは、投資を始めるための支援だけでなく、投資を適切に続けるための支援である。投資家が自らの特性や判断傾向を理解し、自分に合った判断を重ねながら、長期的な資産形成を続けられる仕組みを整えること。それが、我々の目指す投資家支援である。
なお、我々の分析基盤は学術研究や学界との共同研究にも活用されている。投資家支援の実務に加え、学術的な厳密さに基づく検証と、そこから得られる新たな知見を、再び投資家支援と分析基盤に還元する。こうした実務と研究の循環を続けることは、個人投資家への理解を深め、より良い金融市場の形成に有益であると考える。