次世代金融を巡る世界の論調シリーズ:FRB Waller理事講演「成熟するステーブルコイン市場に関する考察」
はじめに
本記事は、本年2月12日にサンフランシスコで開催されたイベント「A Very Stable Conference」において行われたアメリカ連邦準備制度理事会(FRB: Federal Reserve Board)のChristopher J. Waller理事による講演「成熟するステーブルコイン市場に関する考察」[i]の内容を紹介するものである。「A Very Stable Conference」は、業界の専門家を集めて開催されたステーブルコインに関するカンファレンスであり、Waller理事はキーノートスピーカーの一人として講演を行った。
Waller氏は、ノートルダム大学教授およびセントルイス連邦準備銀行のエグゼクティブ・バイスプレジデント兼リサーチ・ディレクターの経験を持つ経済学者であり、2020年12月からFRBの理事に就任している。金融システムや決済制度を巡る発言などで注目を集めている。3年前の2021年12月にも、クリーブランドで開催された「Reflections on Stablecoins and Payments Innovations」[ii]と題する「2021 Financial Stability Conference」でステーブルコインのメリットとリスクについて見解を披露している。
今回の講演では成熟しつつあるステーブルコイン市場を再び取り上げ、ステーブルコインに対するポジティブな見解に注目が集まった。ステーブルコインの潜在力が発揮されるために制約となっているものが何かを論じることが講演の目的とされており、従来よりさらに踏み込んだ内容となっている。
Waller理事は、もともと中央銀行デジタル通貨(CBDC:Central Bank Digital Currency)には懐疑的であり[iii]、CBDCよりも民間部門による決済イノベーションを支持していた。特にステーブルコインについては、明確な規制の下での導入を支持する立場をとっており、適切なルールと規制があれば、ステーブルコインが米ドルの基軸通貨としての地位を強化し、決済システムのイノベーションと競争を促進すると考えている[iv]。ステーブルコインが新たな決済手段を生み出し、国際貿易や金融における米ドルの利用を強化する可能性があるということであろう。
年初、米国では新しい政権が誕生しているが、こうしたWaller理事の考え方は現政権の方針に合致しており、また、一部で先行してステーブルコインの法制化を進めようとする動き[v]もみられる中で行われたFRBの理事による講演ということで注目された。講演内容もステーブルコインに関する示唆に富んだものであるため、その概要を以下のとおり紹介する。
【講演概要】
ステーブルコインの定義と必要条件
ステーブルコインは、国の通貨に対して安定した価値を維持するように設計されたデジタル資産であり、安全で流動性の高い資産によって少なくとも1対1で価値の裏付けがなされている。こうした裏付け資産のプールが準備されているため、ステーブルコインはタイムリーに従来の通貨と交換することができる。
ただし、ステーブルコインがビジネスとして成り立つためには、明確なユースケースと明確なビジネスモデルの両方が必要である。なぜなら、ユースケースは消費者や企業を惹きつけるために必要であり、(収益が確保できる)ビジネスモデルはステーブルコインの発行者が事業を継続するために必要なものであるからである。
ステーブルコインのユースケース
ステーブルコインの主な用途としては、すでに確立されたものからまだ出現していないものまで、いくつか考えられる。
暗号資産価値の安全な保存:ステーブルコインは、価格変動リスクのある他の暗号資産から安全資産に退避する手段を提供する。
米ドルへのアクセスと保有手段の提供:ドル建てのステーブルコインは、(自国通貨価値の下落に悩む)高インフレ国の人々や、ドル現金や銀行サービスへのアクセスが容易でない人々にとって魅力的である。
クロスボーダー決済:ステーブルコインは、異なる国の通貨を仲介することで、国境を越えた決済を可能とする。現行のコルレス銀行ネットワークの複雑さを軽減し、より透明性、コスト効率、迅速なクロスボーダー決済を可能にするポテンシャルがある。
リテール決済:ステーブルコインは、消費者に新たな支払い手段の選択肢を提供し、取引手数料を削減する可能性がある。ただし、現在のところ、リテール決済におけるステーブルコインの利用は非常に限られている。
ステーブルコイン発行者のビジネスモデル
準備資産からの収益:ステーブルコイン発行者は、準備資産から得られる収益と、費用との差額から利益を得ることができる。ゼロ金利の負債を発行し、その資金で金利資産を取得することで、スプレッドから利益を得ている(筆者注:米国では預金など安全資産金利の水準が日本より高い)。
手数料:ステーブルコイン発行者は、顧客がステーブルコインを新規取得したり、反対にドル現金・預金に戻す際の取引手数料から収益を得ることができる。
顧客獲得戦略:ステーブルコインは、より広範な戦略の一環として、他のより収益性の高い商品やサービスへ顧客を誘導するため、「ロスリーダー(目玉商品)」として使用される可能性がある。
ステーブルコインの潜在能力を阻害する可能性のある課題
安全性と健全性:ステーブルコインは、取り付けリスクや決済システムリスクにさらされる可能性があり、明確な規制体制が必要である。ステーブルコインの発行者が直面するリスクは、銀行が直面するリスクと同じではない。このため、米国の規制および監督の枠組みは、ステーブルコインのリスクに直接的、全面的、かつ限定的に対処する必要があると考えられる(筆者注:全面的だが限定的とは、必要なものは全て、しかし不必要なものは含めないと解釈される)。この枠組みにおいては、ノンバンクと銀行の両方が規制されたステーブルコインを発行することを認めるべきである。また、他の競合する決済手段を含む決済ビジネスの状況に対してステーブルコインの規制がどのように影響するかも考慮すべきである。ただし、市場がまだ発展途上である間は、その革新的な可能性を阻害することがあってはならない。
技術的な分断化:異なるブロックチェーンであってもクロスチェーン技術で相互運用性を確保することは可能であるが、そうした相互運用性が確保されなかった場合、ステーブルコインの普及が妨げられる可能性があり、どのような世界が望ましいのか模索されている。例えば、ブロックチェーン毎に主要なステーブルコインが異なる形で発展し、相互運用性が低いまま各エコシステムが複数並行して存在するケースや、複数のステーブルコインが相互運用性を確保することにより、異なるブロックチェーンネットワークに跨って運営されるケースが考えられる。別の可能性としては、高度な相互運用性を持つステーブルコインがブロックチェーンを越えて流通し、各ブロックチェーン上に閉じて存在しているステーブルコインを繋ぐ役割を果たすという世界も考えられる。このような力学が最終的にステーブルコインのビジネスモデルやユースケースにどのような影響を与えるかはまだ明らかではないが、企業が事業の拡大と成熟に取り組む中で注視すべき問題である。
利用と受容の分断化:特定のステーブルコインの保有者が、他の人々がそれを受け入れると期待する限りにおいて、ステーブルコインは支払い手段として有用である。ステーブルコインを受け入れる人が増えれば増えるほど、ステーブルコインの利便性は高まる。
規制の分断化:各国で異なるステーブルコイン規制体制が採られた場合、ステーブルコイン発行者がグローバル規模で事業を行うことが困難になる可能性がある。例えば、欧州の暗号資産市場規制では、ステーブルコイン発行者はビジネスモデルとして準備資産の利息を得ることができる。一方、現在議論されている他の規制モデルでは、システム上重要とみなされるステーブルコインの準備金は、利子の付かない中央銀行預金として保有することが求められており、ステーブルコイン発行者は特定のビジネスモデルに制限されることになる。また、異なる規制体制が各地で導入され続けると、同一のステーブルコイン発行者に対して、別の準備資産および償還要件が課されることになり、さらなる規制体制の分断化が進む(すでに、欧州と米国の一部の州規制では相違点が発生している)。こうした現状のもとでは、ステーブルコインの発行者がグローバルな規模での運営を目指そうとすると、準備資産要件と償還要件が異なる複数の制度の下での発行を強いられることになる。
結論
ステーブルコイン市場の成長や衰退は、消費者やより広範な経済全体へのメリットの是非によるものであるべきだと考えている。成長のためには、民間部門は市場ニーズに合った革新的なソリューションを開発し、持続可能なビジネスモデルを構築する必要がある。公共部門は、明確で的を射た法規制の枠組みを設定し、州や国境を越えてそれらの枠組みを調整することで、グローバル規模での民間部門のイノベーションを可能にすることができる。
[i] Governor Christopher J. Waller, “Reflections on a Maturing Stablecoin Market”, At A Very Stable Conference, San Francisco, California, February 12, 2025 https://www.federalreserve.gov/newsevents/speech/waller20250212a.htm
[ii] Governor Christopher J. Waller, "Reflections on Stablecoins and Payments Innovations", At "Planning for Surprises, Learning from Crises" 2021 Financial Stability Conference, cohosted by the Federal Reserve Bank of Cleveland and the Office of Financial Research, Cleveland, Ohio (via webcast), November 17, 2021 https://www.federalreserve.gov/newsevents/speech/waller20211117a.htm
[iii] Governor Christopher J. Waller, “CBDC - A Solution in Search of a Problem? “, At the American Enterprise Institute, Washington, D.C. (via webcast), 5 August 2021 https://www.bis.org/review/r210806a.pdf
[iv] “Navigating the future of payments with Christopher Waller”, interview with think tank the Atlantic Council, February 12, 2025 https://www.youtube.com/watch?v=29YQrXGchks&t=54s
[v] 具体的には、「S.919 - GENIUS Act of 2025」といった法案が議会で審議されている。https://www.congress.gov/bill/119th-congress/senate-bill/919