SBI金融経済研究所

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レポート Report

金融のインフラ特集号 -解題 SBI Research Review Vol.6-

 所報第6号では金融のインフラを取り上げた。一口に金融インフラといっても、その範囲は広い。法規制や金融制度、ITインフラ、金融業や市場・決済システムの産業構造、監督・モニタリング、金融業の企業ガバナンスや金融システムのガバナンス、各種協会や自主規制団体、関連産業(会計・法律事務所やコンサルティング、信用情報機関、通信・データ産業)、情報やルールの標準化、市場慣行やインテグリティ、金融業界の文化など、様々なものが金融インフラを作り上げている。そして、その先進性や機能度が金融サービス全体の質や、ひいては経済成長、国民経済厚生にも影響してくる。

 そうした多様な金融インフラの構成要素のなかから、所報第6号では3つのテーマについて4つの論文を収録した。デジタルアイデンティティに関する柴田・﨑村論文と中山論文、分散型金融システムと伝統的金融システムの結節点に関する斉藤論文、生成AIに関する副島論文である。また、SBI金融経済研究所は昨年12月より「次世代金融インフラの構築を考える研究会」を設置しており、金融インフラの課題や未来像に関する様々な議論を行っている。同号には75日に公表した最初の報告書を掲載し、研究会メンバーによるとりまとめ後の座談会の模様を紹介している。

  • 柴田・﨑村論文「デジタルアイデンティティを巡る世界の潮流」
  • 中山論文「「欧州デジタルID枠組み規則」制定の経緯と欧州デジタルIDウォレットの共通仕様」
  • 斉藤論文「伝統的金融に呑まれる分散型金融」
  • 副島論文「生成AIウォークスルー :基本技術、LLM、アプリケーション実装」
  • 次世代金融インフラの構築を考える研究会報告書、「次世代金融インフラの構築を考えるに当たっての指針」

01. 柴田・﨑村論文
02. 中山論文

 デジタルアイデンティティは、デジタル化社会における身元確認(Identity Proofing & Verification)と当人認証(Authentication)を支えるインフラ基盤であり、個人をオンラインで識別するために使用される一連の属性や情報の集合体である。これにはユーザー名、パスワード、生体認証データのほか、位置情報やネットの閲覧など様々な個人行動の記録も含まれうる(個人以外にも組織やデバイスも識別対象に含まれうる)。デジタルアイデンティティは、特定のエンティティが誰であるかを確認し、その信頼性を保証する基盤を提供するものである。それゆえ、金融サービスに止まらずデジタル社会のあらゆるサービスに共通した重要インフラとなっている。

 自分固有の情報や設定を必要とするようなサービスを利用する場合、「自分が誰であるのか」をサービス提供主体に示して登録してもらう必要がある。その真実性や本人情報の量や精度は、サービス内容によって大きく異なる。SNSであれば実名でなく仮名で登録可能なものが多い。各種サービスは、業法によって、あるいは自主規制によって、どのような本人情報を必要とするか、その身元確認保証レベル(Identity Assurance Level)は大きく異なっている。モバイルフォン購入の際に求められる身元確認保証レベルは時代とともに変遷を遂げてきており、現在の電子マネーについても、身元確認が不要なものもあれば、そうでないものもある。

 一般に、金融サービスの申込においては、運転免許証やマイナンバーカードのような公的な身元確認が求められ、そのうえで当人認証手段が提供される。デジタルサービスの一例として、銀行預金口座からの送金をスマートフォンアプリで行う場合を考えてみよう。銀行はインターネットの向こう側から送られてきた送金指示が、確かに口座保有者として登録済みである貴方からの指示であることを確認する必要がある。これが当人認証であり、その前提として身元確認を伴った本人登録が必要となる。

 デジタルアイデンティティの発行主体は公的部門に止まらず、民間企業もサービス利用者に対して様々なデジタルアイデンティティを発行し、サービス提供時の認証や認可に活用している。エコシステムプレーヤーのみならず個人向け小規模サービス業においても、マーケティング上、顧客管理は重要である。こうしたデジタルアイデンティティの活用シーンにおいて、技術発展によって可能となってきたことがある。個人の属性や情報の集合体であるデジタルアイデンティティを、サービス利用に際して選択的に提供する機能である。例えば、年齢確認だけが求められるサービス提供においては、氏名や住所や年齢すらも示す必要がない。その年齢制限をクリアしているという事実だけを証明することができれば十分である。コロナワクチンの接種、資格や学位の取得など、0か1で事実が判明すれば事足りるものは少なくない。

 優れたサービスを享受する(提供する)ためにはデジタルアイデンティティの適切な活用が重要である一方、プライバシーの確保においてもデジタルアイデンティティの管理が必須となる。所報第6号掲載の最初の2本の論文、柴田・﨑村論文と中山論文は、こうしたデジタルアイデンティティの最前線の動向を論じたものである。

 柴田・﨑村論文は、主要国のオープンバンキングの現状を概説したうえで、プライバシー保護、金融犯罪防止、相互運用性確保といったデジタルアイデンティティの重要な役割を論じている。後半では、Verifiable CredentialVC)やデジタルアイデンティティウォレットといった具体的な技術動向を紹介し、EUを中心とした国際的な動きと課題を展望している。VCとは、個人の属性情報に対する証明書であり、信頼できる機関によって発行されたデジタル情報である。暗号技術によって保護されており、必要な属性情報だけを開示することを可能にする技術が活用されている。また、同論文は、デジタル庁によるスマートフォンでのマイナンバーカード提示やEUとの協力覚書締結といった日本の取り組みを紹介し、デジタルアイデンティティ技術の進展がもたらす未来について論じている。

 中山論文は、先行するEUを取り上げ、欧州デジタルID枠組み規則の改定と欧州デジタルIDウォレットの仕様を解説したものである。EUでは、加盟国間での電子識別手段の相互運用性を確保し、異なる国で発行された電子IDが相互に認識され利用可能となるよう、eIDと呼ばれる電子識別手段が2014年に採択された(eIDAS規則)。その後、適用が推進されてきたが、各国間の足並みが揃わず民間のサービスへの利用普及が妨げられていた。そこで、本年5月にeIDAS規則を改定し、加盟国は2年以内に欧州デジタルIDウォレットを市民に提供する義務を負うことになった。同ウォレットはIDや属性情報を管理するアプリケーションであり、運転免許証や医療処方箋、教育資格、電子署名機能などデジタルアイデンティティに関連する様々な情報を扱うことができる。標準化を進めるためにシステム開発のツールボックス仕様を定めたほか、エコシステムとして機能するよう発行事業者や検証サービス事業者、登録機関、監督機関、認定機関など多数の関連主体を取り込んだ役割設定が工夫されている。

 デジタルアイデンティティは、優れた金融サービスを創造し提供していく際に、その機能や競争優位性の確保において重要な金融インフラの一つとなっている。これら2本の論文を通じて世界の潮流と先進的なグランドデザインを知ることは、日本の金融経済・社会厚生にかかる国家戦略を考えるうえで極めて有益である。特に、中山論文に目を通した読者は、社会全体での実装と活用をどう進めていくかにおいて、日本の国家戦略が立ち遅れていることを強く意識することになろう。

03. 斉藤論文

 金融インフラにおいて、近年の世界的なトレンドを生み出しているのが分散型金融システムであり、その中核にあるのが分散台帳技術である。当研究所の所報やWebレポートでも、分散台帳技術がどのような金融インフラ変革をもたらしつつあるかを多く取り上げてきた。暗号資産やセキュリティトークン、ステーブルコイン、DeFiNFTなどである。また、金融規制当局や中央銀行が、こうした動きにどのような対応を行ってきたか、あるいは自ら活用しようとしているのかも金融インフラの展開を考えるうえで重要であり、金融規制やCBDCを巡る動向として取り上げてきた。例えば、この1年を振り返ると以下のような研究所の論文・Webレポートがあげられる(所報掲載は*印)。

  • 「次世代デジタル金融の実現に向けパブリックチェーン技術に回帰する金融機関の最新動向」、石川大紀、202312
  • 「セキュリティトークン最新事情と将来展望:2024年夏」、朏仁雄、20247
  • 「トークン化がもたらす金融システムの未来と軌跡」*、齊藤達哉、20243
  • RWAの現状、今後と法規制」、斎藤創、20244
  • 「セキュリティトークンの現状と課題」、村松健、202312
  • 「セキュリティトークン市場の現状と将来像」*、平田公一・政井貴子、20238
  • NFTの持続可能性を考える -NFTは長期保存できる資産と言えるのか?-」、中山靖司、20243
  • NFTは本当に「唯一無二」と言えるのか?-NFTの信頼性を高める一つの方法の提案-」、中山靖司、202311
  • 「暗号資産等クロニクル」米国版、EUUK版、国際機関版等、2023
  • 「金融システムの未来像を探る中央銀行の挑戦」*、副島豊、20243
  • CBDCのオフライン決済を巡る議論」、小早川周司、20238
  • 「暗号資産の機能と国際的規制アプローチの変遷」、天谷知子、202312
  • 「米国における暗号資産規制の動向」*、中山靖司、20238
  • 「米国における暗号資産規制を巡るもうひとつの論点 -DeFi(分散型金融)をどうするか-」*、湯山智教、20238
  • 「米リップル社を巡る裁判の略式判決を読み解く -個人向けに販売されるXRPは、なぜ「有価証券」ではないのか-」中山靖司、20238
  • 「資金決済法・金融商品取引法の改正経緯から紐解くデジタル決済手段(暗号資産類似)等の定義と注目点」*、山沖義和、20238
  • 「ステーブルコイン法制の6つの勘所」*、河合健、20238
  • 「令和6年度税制改正(暗号資産関連)の振り返り」、安河内誠、20241

 また、金融インフラを考えるうえでの歴史的視点の重要性(例えば、江戸期の分散分権型金融システムから明治の中央集権型システムへの移行)も意識しており、下記のような論文レポートを公表している。

  • 「幕末維新期日本の貨幣制度と貨幣使用の変遷デジタル通貨時代における複数通貨の併存と統合を見据えて*、鎮目雅人、20238
  • 「江戸時代の金融イノベーション1 -証券取引市場の形成-」、高槻泰郎、20247

 これらに共通したテーマが、性質が異なる2つのシステム、すなわち分散分権型システムと中央集権型システムをどのように併存させ、あるいは新旧システムを接続させるかという視点である。これは、ITインフラとしての視点だけでなく、ガバナンス、法規制、監督モニタリング実行、金融システム安定、利用者保護、AML/CFT、金融産業構造といった金融インフラを構成する様々な視点において共通のテーマとなっている。例えば、KYCの実現には、暗号資産交換所という分散型システムと伝統的金融システムの結節点になる組織が重要な役割を果たしている。これは、サトシ・ナカモトが描いた世界には存在していない構図である。金融機関や中央銀行の分散台帳技術への接近も、プライベートチェーンという、これまたサトシ・ナカモトの世界観には存在しなかったものを創り出した。そして、上記にあげた石川レポートは、プライベートチェーンを司る金融機関や金融インフラ企業が、パブリックチェーンとの接続を求めてクロスチェーン技術に強い関心を持ち始めている最近の動きを紹介している。

 斉藤論文は、分散型の新しい金融システムといえども、伝統的な金融システム無くしては成り立たないという基本的理解をまず整理している。そのうえで、最近の米国暗号資産ETFや日本における合同会社DAOの認可の動きは、両者の接近というよりは、むしろ分散型システムが伝統的金融システムに吞み込まれる動きであるという見方を示している。「分散を志しながらも、伝統的金融との接点を通してしか自らを維持できない台帳システム自体に問題の根幹はあると言えるのかもしれない」という論文の指摘は、決してネガティブな批判ではない。最後に示されている言説、すなわち、分散型台帳技術の利点をもう一度振り返りながら、伝統的金融には依存しない、別の動作条件の下で機能する台帳システムの登場を志向する時期が来ているというのが筆者の本意である。これは、ITインフラやガバナンス、法規制といった金融インフラの様々な側面において、2つのシステムをどう併存させるか、連結させるかという金融システム全体の再設計に関わってくるプロポーザルである。同様な視点は、「次世代金融インフラの構築を考える研究会」の報告書にも登場してくる。

04. 副島論文

 この1~2年、金融産業のみならず、社会経済活動全般を大きく変えていく基盤技術として注目を集めているのが生成AIである。少なくとも金融業界において、現在のイベントで最も人が集まるのは生成AIを取り上げたカンファランスやワークショップであり、これがDXやビッグデータ、情報利活用、ITシステム開発の新潮流などと連結して、大きなうねりを作りだしている。ChatGPTが登場した1年半ほど前に少し触って離れてしまったきりの読者は、現在の最新サービスに触れてほしい。長大なPDF文書ファイルを一瞬で読み込み、質問に応じて的確自在に回答するという現在の生成AIのフロンティアを無償で体験することができる。GPT以外にも多くの大規模言語モデルが登場しており、その知識量や言語生成能力の劇的な向上を目の当たりにすることができる。

 生成AIの意義は2つあると考えられる。1つ目は、言葉という人間の最も基本的なコミュニケーション手段をコンピュータに対して直接投げかけることが可能になった点である。これまでは、プログラムを書いて指示する、あるいは誰かが作ったプログラムやアプリケーションを用いることで操作が行われてきた。ボイスコマンドやチャットボットという前駆的なものが登場していたが、その汎用性において全く次元が異なるものとなっている。言葉で指示を出し、文章や画像、音声、プログラムほか種々の情報を生成することが可能となっている。数年前まではSFの世界でしか成立しえなかった技術である。

 2つ目は、言語生成モデルが知識や情報のデータベースとして機能するようになった点である。ニューラルネットワークをベースとする言語モデルは、巨大な文書のデータベース、例えば、インターネットからの大量の収集文や著作権が切れた膨大な書籍群から言語のパターン性を学習する。言語生成モデルの基本構造は極めてシンプルであり、こういう文脈で言葉が並んでいたら次はこの言葉が適切であろうという推論を一語ごとに繰り返すことで文章が作成されていく。このような方法で人間並みの文章生成が可能になるとは考え難いが、急速な技術発展により短期間のうちに実現してしまった。もちろん、上述のような言語生成モデルの成り立ちは、必然的にハルシネーション(幻覚、もっともらしい嘘)を伴う。しかし、言語生成モデルが大規模化し、学習データセットが巨大になってくると、文の展開や文章のパターン性に内包されている情報が知識として言語モデルの中に取り込まれていった。現在の大規模言語モデルは、様々な分野の専門家並みの知識を既に獲得しており、更に特化した情報などを追加学習させることが可能となっている。

 生成AI技術が加速的に進化する一方で、多くの金融機関が生成AIの活用に苦慮している。金融業は、情報の生産および情報の処理を行う産業であり、その膨大な情報は、数値データのみならず文章データとして生産され、処理されている。それゆえ、金融業における生成AIとりわけ大規模言語モデルの活用余地は非常に大きい。しかし、情報セキュリティの課題やITシステムの開発運用方針、専門人材の不足などの課題に直面し、顧客向けの金融サービスや内部業務への応用は徐々にしか進展していない。また、ビジネスの現場がシステム開発に深く関与するという内製化文化がない先は、高速な機能改善や新技術・新サービスの登場にスピード感をもって対応していくことができていない。

 副島論文は、生成AIとりわけ大規模言語モデルの発展の歴史と、代表的なモデルの技術解説、現在の最新モデルやサービス群の紹介、実装技術のデモンストレーション付き解説を提供している。特に、企業での活用において鍵となる秘匿情報(企業内部情報や顧客情報)を生成AIモデルで扱う手法を中心に実装例を紹介している。生成AIを活用していくための方法を学ぶチュートリアルを意識して執筆されており、生成AI技術の民主化メリットを享受していくための水先案内(Pilot)となっている。

 

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