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レポート Report

CBDCのオフライン決済を巡る議論

 金融サービスの高度化に向けた様々な取り組みが進む中、各国ではデジタル社会にふさわしい通貨を巡る模索が続いている。本年8月には、PayPalが米ドルとの等価交換を保証することによって価値を安定化させるステーブルコイン「PYUSD」の発行計画を明らかにした。民間中心に進むデジタル通貨の実現に向けた取り組みと並行して、政府・中央銀行がデジタル通貨を主導するような動きもある。幾つかの新興国では「中銀デジタル通貨」(Central Bank Digital Currency、CBDC)の発行に踏み切っているほか、中国では主要都市においてデジタル人民元の実用化の取り組みが精力的に行われている。わが国においても官民でデジタル通貨の検討を進めている現状は、海外と同じである。資金決済法の改正によって地方銀行を含めた幾つかの金融機関ではステーブルコインの発行が検討されている。日本銀行においてもCBDCに関する検討が続けられている。

 もっとも海外ではCBDCに対する批判的な意見も多く聞かれる。そもそもCBDCはなぜ必要なのかといった根源的な問いから、具体的な制度設計に対する懐疑的な意見まで幅広い。特に制度設計の面で大きな論点となっているのが利用者の個人情報の扱い(プライバシーの問題)である。CBDCでは現金と異なりプライバシーを完全に保護することが難しいと一般には考えられているほか、AML/CFTの観点からも完全に匿名のままでの取引を認めることは望ましくないという前提で制度の枠組みが議論されている。これに対して懐疑論者は、CBDCを通じた監視社会が実現すれば国家統制が強まると危機感を募らせている。

 こうした意見に対して近年注目されているのがCBDCにオフライン(offline)決済機能を付与し、プライバシーに配慮した取引を認めてはどうかという提案である。欧州中央銀行では、デジタルユーロの導入に向けて今秋には理事会の判断が下される予定となっているが、これまでの検討状況を見ると、デジタルユーロ導入当初からオフライン決済機能をしっかりと作り込む必要があるとの立場を明確に示している。

 一般に、オフライン決済機能とは、オンラインではない状態、つまりインターネット等のネットワークに繋がっていない状態で、通貨価値の受け渡しができるようにする機能のことを指すと考えられている。最も分かりやすい事例は現金の受け渡しであろう。売店でペットボトルの水を買う時、現金で支払えば決済は完了しインターネットに接続しているか否かは関係ない。CBDCを通じた取引では、現金のように物理的な媒体の受け渡しができないことから、価値の移転等を記録する台帳を管理するシステムに取引内容を照合し、その可否を確認する必要がある。台帳を管理するシステムへのアクセスが必要なのは、偽のCBDCを使おうとしたり、一度使ったCBDCを再び利用したりすることを防ぐためである。

 遠地にある価値管理台帳システム(センターサーバ)に常時アクセスすることなくCBDCが利用者の間で転々と流通するような仕組みができれば、CBDCにもオフライン決済機能を実装できる可能性がある。このように考えると、CBDCにおけるオフライン決済とは、台帳との常時接続があるか否かでオンラインとオフラインを区別する方が適切とも言えるが、現時点では共通の理解がある訳ではない。一つの実現方法は、利用者がカードやウェアラブル端末といった手元のデバイス(ローカルデバイス)に価値の管理を行うシステムを導入するというストアドバリュー(近年では、一部の民間事業者が提供するQRコードを使った支払いサービスでもオフライン決済機能が提供されるようになってきているほか、CBDCへの実装に向けた取り組みを進めるような動きもある[1]。QRコードやタッチ型は相手方との情報をやり取りするインターフェイスの問題であり、価値の台帳をどこに置くか(ローカルデバイスかセンターサーバか)という問題とは切り離して考えることができる。

 オフライン決済機能をCBDCに付加する狙いは多岐に亘るが、海外では金融包摂の推進が真っ先に挙げられることが多い。金融サービスの恩恵から取り残された人々、スマートフォンを使えない人々、居住地域で十分なインターネットサービスを受けられない人々など背景は様々ながら、これらの人々に対してオフライン決済機能を兼ね備えたCBDCを提供することによって生活水準の向上につなげようという発想である。次に、現金と同等の機能を持たせようという意図が指摘されている。CBDCは長い目で見ると、デジタル社会において現金を代替していく法定通貨となる可能性が高い。こうしたことを踏まえると、現金の最大の特徴の一つであるオフライン決済機能をCBDCでも実現していくことが望ましいと考えられている。さらに、決済システム全体としての堅牢性を高めることも指摘されている。台風や地震等の自然災害によってインターネットサービスが不通になった場合でも、オフライン決済機能を有するCBDCがあれば被災者の生活の支えになる。

 その上で、オフライン決済機能をどのように実装するかについては様々なアプローチが想定されている。BIS2023[2]を参考にしながら整理すると(図表)、まず台帳システムへのアクセスを全く必要としない「恒常的オフライン」というアプローチが考えられる。このアプローチでは、例えばAさんからBさんに対するオフライン決済機能を使ったCBDCの移転は即時に決済が完了したものとみなされ、BさんはCさんへの支払いにオフラインのままでCBDCを使うことができる。

(図表)オフライン決済機能

(図表)オフライン決済機能

(出所)筆者作成

 これに対して「暫定的オフライン」では、台帳システムへの事後的なアクセス(オンライン状態への復帰)を前提とするが、どのタイミングでアクセスするかに応じてさらに2つのアプローチに分かれる。「一時的オフライン」では、恒常的オフラインと同様、AさんからBさんへのCBDCの支払いは即時に決済が完了したものとみなされ、一定の利用限度額の範囲内であればオフラインのままBさんはCさんへの支払いができる。この限度額を超えると、台帳システムへのアクセスが求められ、利用者のCBDC保有残高や取引内容等に関する情報を台帳上でアップデートした上で、Cさんへの支払いができるようになるというアプローチである。利用者間でのCBDCの転々流通性に一定の制約を設けようとしている。これに対し「段階的オフライン」では、Bさんは受け取ったCBDCを利用する前に必ず台帳システムにアクセスし情報をアップデートしないとCさんへの支払いに使うことができないという仕組みをとる。このアプローチでは、オフラインのままでの転々流通性は認められない。いずれのオフライン決済機能が望ましいかは、それぞれの国・地域の置かれている状況による。停電やネットワーク機器の故障によってインターネット接続が使えないような状況への対応のみを前提とすれば、暫定的オフライン機能で十分かもしれない。他方、山岳地のようにインターネットサービスが限定されている地域の住民にとっては、恒常的オフライン機能を具備したCBDCでなければ日常生活において使えない。リスク管理の観点からは、段階的オフラインが最も安全なアプローチと考えられる一方で、利便性の高い恒常的オフラインの安全性を如何に確保するかについて技術・制度面からみたハードルは高いように見える。

 今後の議論では、こうした機能の必要性や技術面の検証に加え、ユーザーの利便性と取引の安全性とのバランスをどう考えるか、さらにはオフライン決済のファイナリティ(資産ないし金融商品の無条件かつ取消不能な移転または債務の履行)[3]を明確化するための法的基盤をどう整備するかなども、併せて検討していく必要があろう。


[1] IDEMIA, “While Paper: Offline CBDC payments,” March 2023.
[2] Bank for International Settlements Innovation Hub, “Project Polaris: A handbook for offline payments with CBDC,” May 2023.
[3] この点には、価値の台帳をセンターサーバのみとするか(ローカルデバイスにファイナリティを担保する価値台帳はなく、転記するまでの情報が一時的に保存されるとの位置付け)、ローカル端末上での情報処理にファイナリティを与えるか、すなわち価値台帳の更新がなされたと考えるか等の論点が関係してくる。



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