2022年3月9日

経済安全保障
―経済力を国の安全保障に活用する方策―

SBI金融経済研究所 顧問
前内閣官房国家安全保障参与

宮川 眞喜雄

 経済の力を国の安全保障に活用する「経済安全保障」の必要が今日ほど強く認識されたことは戦後なかった。膨張する経済力を外交軍事目的に動員し、周辺諸国を脅かし始めた隣国の危険に漸く気付いたからだ。思えば、我が国経済が強靭だった時代に真剣にその施策を講じていればと慙愧に堪えないが、まだ間に合う。

抬頭する近傍の大国は、海外からの投資企業に技術開示を強要したり、留学生を使って高度技術を盗取させたりして、自国の兵器技術を磨いてきた。世界市場で稼いだ資金を軍事力増強に投下している。気に入らない国には希少金属等の輸出を停止し、輸入に制限を加え、自国市場の開閉を梃に政治的圧力をかけている。

 経済取引の自由化を唱道してきた先進諸国は、かかる事態は放置できないと気が付いた。G7諸国の間で経済力を安全保障に用いる具体的対策が真剣に議論され、共同行動の実施が始まった。この動きは、豪州やインドを始め東アジアの諸国に広がりつつある。

 国家の安全保障のためならWTOルールは適用されず、独禁制度、競争入札制度、特許制度、その他多くの経済産業政策について、安全保障の点からの例外を模索する時期が来ている。コーポレートガバナンスコードも、株主からの情報開示要求や低利益率部門の切離しについて、安全保障の観点からの例外を早期に確立する必要に迫られている。

 経済安保強化の方策は幅広い。経済力を防衛的に使う手段だけでなく、経済制裁などの攻撃的手段も整備する必要がある。経済や防衛に不可欠な資源・部品を問題国に依存しない体制を整備すると共に、問題国の経済主体がこちらの経済から一方的に利益を得るのを拒否するために取引を切り離す手段の整備など、特に3分野が重要だ。

 (1) 第一は 技術力の育成である。技術は軍民両用であり、産業政策上も国防上も国家による技術開発支援には戦略的理由がある。科学技術教育の振興、技術者の育成、先端技術製品の供給確保、機微な先端技術の遺漏防止などが政策の支柱となる。

 (2) 第二に、 戦略的に重要な資源や生産拠点の確保である。石油などの戦略物資、レアメタルなどの希少資源を開発し、備蓄し、研究開発により常に確保することが求められる。生産活動の結節点となる半導体などの生産設備や流通経路の維持も重要である。それらの輸出を禁止する制度の整備も必要である。

 (3) 第三に、 経済の血流たる金融制度を整備し、金融資源が安全保障に十分利用できるシステムを整備する必要がある。わが国の潤沢な民間資金が安全保障分野に投資されるよう、資金の流れを作る金融市場の政策的工夫も必要である。技術の発達に伴い益々サイバー攻撃に脆弱になる金融システムを防衛する手段の確立も欠かせない。通貨も含め、我が国金融システム全体への信頼を高く保持する方策も講じる必要がある。また脅威を与える国に対し我が国の金融資源の利用を拒否する手段も整備しなければならない。

 米欧諸国は昨今、ロシアがウクライナに侵攻すれば、金融制裁を課すと予告していた。

 (1) 金融面での経済制裁の手法は、歴史を辿れば、世界史に典型的類例がいくつもある。主要通貨との交換停止、対象国(防衛関連企業、主要政策担当者)の在外資産の差押え、送金手段の利用拒否、有償無償の資金供与の停止、債券発行拒否などである。

 (2) 近年は更に、株式市場への上場禁止、制裁対象国の周辺水域に向かう船舶や航空機の保険料の値上げ、対象国やその問題企業の格付けの意図的な引下げなども、対象国の通商や金融取引に制約を加える上で有効である。

 (3) 電子的取引が更に進展すれば、通信の停止は強い効果を発揮する。インターネットの普及した現代では、対象国の外部との電子通信の切断手段も開発される時が来よう。衛星や海底ケーブルの通信を暗号やサイバーで遮断する手段も将来想定される。

 制裁の実施に際し、制裁を課する側には用いる手段や範囲などにつき考慮すべき点があり、以下の2点は特筆される。

 (1) 第一に、制裁は実行する側にも経済的犠牲が出ることから、諸手段の選択は彼我の経済取引状況を精査して行う必要がある。ロシアの金融機関をSWIFTから遮断する場合、西側の金融機関にも不利益が及ぶという分析がある。またその不利益の多寡は金融機関ごとに異なり、更に複数ある制裁参加国の間に開きがあるため、利益調整が容易ではない場合があり、制裁参加諸国間の不協和音に拡大した事例もある。

 (2) 第二に、制裁を課す結果、制裁対象国が自前の経済手段を開発するなどにより、制裁国への経済依存度を減らし、将来の対象国への経済政治的梃子が弱くなる事例も歴史上散見される。ルーブルを国際経済取引の決済から排除する結果、ロシアが一国で、あるいは中国と協力して、独自のデジタル決済通貨を開発・普及させる場合、米ドルやユーロの被る不利益は既に議論の俎上に上っている。将来、国際社会の決済通貨がブロックチェーン化した暁には、インターネットを遮断しない限り、決済システムから問題国を排除するといった制裁措置自体が不能になる可能性も想像される。

 以上の観点から、今次対露金融制裁の帰趨は実に興味深い。