2022年1月25日
通貨と組織 若き日の渋沢栄一
この小稿で紹介するのは通貨の利用をめぐって不和が生じた組織の話である。その組織とは、1869年2月駿府藩(静岡藩)の藩士・渋沢栄一(当時は篤太夫)が創設した商法会所(しょうほうかいしょ)である。問題となる通貨は1868年に明治新政府が発行した紙幣、太政官札(だじょうかんさつ)、通称「金札(きんさつ)」である。
新政府は各藩に貸し付けるかたちで金札を発行した。年利は3%、返済期限は13年間とされた。新政府には、この13年の間に貨幣制度を抜本的に改革する思惑があった。金札は遠隔地取引に従事する商人の間では利便性のある紙幣とみなされたが、日用品の売買では受け取りが拒まれがちであった。広く流通していたのは相変わらず徳川時代以来の通貨であり、これらは正金(しょうきん)と呼ばれた。新政府は正金100両=金札120両と定めた。だが金札はこの公定レートより安く扱われた。
駿府藩に貸し付けられた金札は53万両だが、渋沢が駿府藩に出仕し始めた頃には30万両近くが使われていた。藩の財政を問題視した渋沢は、三井組の三野村利左衛門の協力を得て残りの金札を正金と引き替えた。渋沢はこの正金を主な元手として藩の産業振興と財政の強化を図る組織として商法会所を創設した。
後年の渋沢は商法会所について「銀行と商事会社とを兼営」した事業と表現している。東京などで肥料(〆粕や油粕など)を購入して領民に販売するとともに、生産された茶葉や生糸を藩の内外に販売することが商法会所の事業の1つの軸となった。もう1つの軸として、肥料の購入代金や産業資金を貸し付けたり、預金・決済サービスを提供したりなど、商法会所は金融機関としての役割も果たした。渋沢は「全領民利潤いたし候ための仕法」を目指すため、領民だけでは確保できない取引を提供することにしたのである。
商法会所は、渋沢がフランスで見聞した株式会社や銀行の仕組みを初めて模倣した企業組織である。渋沢は萩原四郎兵衛など駿府の有力商人を動員し、藩士と商人が分け隔てなく協力して事業に取り組む方針を掲げた。事業資金は藩士や商人などからも集められており、出資者には利益から配当が支払われた。しかし藩士と商人の協力関係は数ヶ月後のうちに頓挫した。商法会所の正金を引き出して金札と替える商人が現れたのである。金札を利用しない藩士にとって、この行動は不信極まりないものであった。加えて、茶栽培農家が資金の返済期限の延長を求めるなど返済が滞っていたことなども商人に対する藩士の不信を募らせていた。
1869年7月新政府は版籍奉還を実施した。この改革は、藩主を新政府に任命される地方長官(知藩事)と位置づけるなど、藩の権限を縮小するものであった。新政府はこのタイミングで金札の使用を促す命令を出した。商法会所の先行きを不安視した藩士は、フランス渡航の後始末のため東京に戻っていた渋沢に対し、商人への不信と不安を書簡で伝えた。渋沢は商法会所の事業を再検討することにした。
ここで渋沢は駿府の商人たちの貢献を再認識する。静岡は、大政奉還を機に江戸から多くの藩士が移住したことで米穀不足に陥っていた。一方で横浜などの商人たちは、金札がさほど流通していない静岡で商品の買い付けが比較的安く済むことに着目した。彼らの買い付けは静岡での物品価格の上昇を招く。駿府の商人はこの動向に注意を払い、京阪地方も含めて裁定取引に従事するなど米価調節を通じて駿府経済を守っていたのである。こうした活動のなかで金札の利用に寛容な商人の手元に金札が貯まることも、正金への換金が必要となることも、渋沢には十分理解できた。ただし藩士の知らないところで商人が金札を正金に両替できる状況には改善の余地があった。
渋沢は商法会所を廃し、藩から独立した組織として常平倉(じょうへいそう)を新設して事業を引き継いだ。常平倉の理念として、個人の利益ではなく藩の利益を優先すべきことが念押しされた。その上で、商人と藩士との間に明確な役割分担が築かれた。すなわち、商人が事業に関する発案・遂行役を担い、藩士が商人の業務の承認・監視役を果たすものとされた。渋沢はこの組織再編を通じて不和を克服したのである。常平倉は1871年7月廃藩置県で廃止されるまで静岡藩の「興業殖産」を支えた。
やがて渋沢栄一は大蔵官僚として新貨条例や国立銀行条例の制定に関わり、退官後は銀行や株式会社を次々と創設するなど、明治期日本の金融システムの形成に貢献した。こうした貢献の前段階、渋沢は静岡で通貨と組織をめぐる問題を目の当たりにしていた。DeFi(decentralized finance)が普及する昨今、企業組織設計のあり方が様々な視点から議論されている。若き日の渋沢栄一は、通貨の歴史の転換点で立ちはだかるこの根本的な問題を当時なりに乗り越えていたのである。
参考図書
岡村龍男『渋沢栄一と静岡 改革の奇跡をたどる』静岡新聞社、2021年.
横山和輝「駿府藩商法会所から常平倉へ:藩士と商人の利害対立と調整」 名古屋市立大学経済学会ディスカッションペーパーNo.669、2021年.